コーヒー通の人ならば、関西のコーヒーに対して“深くてビター”という印象を持っているかもしれない。そのルーツとも言われるのが、創業85年、不変の味を守り続ける「丸福珈琲店」だ。
果たして彼らはいかにして生まれ、いかにして関西の地に喫茶文化を根づかせたのか。丸福珈琲店 銀座喫茶室の荒川さんに話を聞くと、そこには戦時を乗り越えて現代に至る“深くてビター”なドラマがあった。
まるで発明家。自ら設計図を引き、寝る間も惜しんでコーヒーを研究
丸福珈琲店の代名詞は、重厚でコクのある深煎りのブレンドだ。ともすればイヤらしい苦味になりかねない一杯を、奥行きとグラデーションを感じる豊かな味わいに仕上げている。その歴史は遡ること85年以上前、東京都・武蔵小山の洋食レストラン「銀嶺」から始まった。
「創業者の伊吹貞雄は当時、『銀嶺』のオーナーシェフとして腕を振るっていました。そんな折、流行の兆しを見せていたコーヒーの味に感銘を受け、食後のドリンクとして提供したいと考えたそうです。しかし、当時は入手できる豆も器具も限られており、国内にはコーヒーに関する資料も不足していた時代。彼の理想とするコーヒーを作るのは困難でした」。
そこで伊吹氏は、驚きの行動に出る。
「彼はまず、イタリア人のシェフ仲間に頼み、海外から焙煎機や抽出器具に関する資料、さらには焙煎技師の読むような機械工学の本を取り寄せました。それをゼロから和訳して読破し、自分なりの理論を立てて器具を設計。自ら引いた図面を町工場に持ち込み、これまでにない抽出器具と卓上焙煎機を作り出してしまったのです」。
もはや発明家の沙汰である。伊吹氏は完成した器具を使い、寝る間も惜しんでコーヒーの研究に没頭した。
「どんな豆をどう焙煎し、どう抽出したらどんな味になるのか。当時、コーヒーについて右も左もわからなかった日本で、彼はこうしたデータを一つひとつ集めていきました。その末に編み出されたのが、『豆を一度にまとめて焙煎せず、チームに分けて焙煎する』『抽出時にスプーンで器具を叩き、蒸らしやお湯の落ち方を調整する』といったオリジナルの製法なのです」。
こうして誕生したコーヒーは、「銀嶺」の締めの一杯としてヒット。その味は85年以上もの時を超え、現代にまで受け継がれている。
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