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2018.12.15

ライフ

大人がプロゴルファーを目指すとは? 久古千昭プロの過酷な回想

OCEANS’s PEOPLE ―第二の人生を歩む男たち―
人生の道筋は1本ではない。志半ばで挫折したり、やりたいことを見つけたり。これまで歩んできた仕事を捨て、新たな活路を見いだした男たちの、志と背景、努力と苦悩の物語に耳を傾けよう。
久古千昭のインタビューを最初から読む 
現在53歳の久古千昭はプロゴルファーである。26歳のときに初めてクラブを握り、5年後にはプロテストに合格していた。なぜそんなことができたのかは、今もってわからない。無責任な言い方をすれば、彼は天才だったのだ。にも関わらず、プロゴルファーは彼のゴールではなかった。今、彼は「第二」ではなく「第三」……もしかしたら「第四」ぐらいの人生を歩んでいるとも言える。
だが振り返ると最も過酷だったのはプロゴルファーへの道。まっとうな社会人の生活を捨てて、10代の若者たちに混じって彼は夢を追った。

26歳の久古千昭は、千葉県成田市で父が経営する不動産会社に勤めていた。
バイクレースと飲食業を経由してこの道に入り、4年ほどが過ぎていた。時に1991年、お父さんの堅実な経営のおかげで、会社はバブル崩壊にも飲み込まれることなく安定して利益を生み出していたという。
資格を取得し、狂乱の時代の不動産業の面白さも体験し、「まあ将来は親父の後を継ぐんだろうな」なんて、ぼんやりイメージしながら平穏に日々を生きていた。
趣味といえば、少し前に始めたゴルフ。といっても月に一度行くかどうかというペース。
成田駅近くのスナック「ピエロ」にはよく顔を出した。グラマラスなホステスさんがいて、ちょっと気になったりしていた。
実は「ピエロ」が、“師匠”の行きつけでもあったのだ。
久古さんが初めてラウンドしたとき、一緒に回ったプロゴルファーである。そもそも初めてコースに出たそのコンペは、“師匠”のタニマチ筋が開いたものだった。
さて最初のラウンドで「103」というスコアを叩き出し、“師匠”から「プロになれるぞ」とお墨付きをもらった久古さんだが、まず思ったのは「そんなはずはない」。
「だってそんなの絶対社交辞令に決まってるじゃないですか(笑)。だから普通に聞き流してたんです。でもスナック『ピエロ』で会うたびに、言われ続けたんです。『ゴルフ場来ないのか』『プロにならないのか』って」。

このお話、後にこの人がプロゴルファーになるという結末がわかっている。だからヤキモキするかもしれないが、ハタチを過ぎて就職して何年か経って仕事にも慣れて、そこで初めてやったスポーツのプロになろう、なんて普通は思わない。読者のみなさんもきっと同じはず。久古さんもそうだった。だがそれがなぜひっくり返るのか。
「あのー、2回目にラウンドしたとき、僕のスコアが80台だったんですね。あと記憶を頼りにいうなら、当時ドライバーで300ヤードは優に飛んでたと思います。僕は完全にビギナーでしたし、ゴルフの上手いか下手かの判断基準なんて持ち合わせていなかったんですが、周囲の評価を総合的に分析してみると、どうやら上達のスピードが尋常じゃなかったらしいんですね。コースに行く前日にチャチャっと練習するだけで、なんかうまくできたし」。
そんなふうに1年を過ごすうち、火がついてしまった。
「バブル後、業務も縮小してきていたし、不動産業界って、資格を持ってフルコミッションで働いてくれる遊軍的な人が結構いるし、具体的に手伝いに来てくれる人も確保できそうだったので……」。
完全に、自分が抜けた後の事後処理モード。そうした体制を確認したうえで、プロフゴルファーを目指そうと思う、とお父さんに打ち明けた。
「そんな事情だったので、親父としても現実的に困ることはなかったんだと思います。ただその割にはボロクソ(笑)。『やるのは結構だけど、うちに戻れると思うんじゃねえぞ』って。『そもそもおめえなんかがプロゴルファーになれるはずねえんだからな!』」。
事実上の勘当である。


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