職場の20代がわからない Vol.26
30代~40代のビジネスパーソンは「個を活かしつつ、組織を強くする」というマネジメント課題に直面している。ときに先輩から梯子を外され、ときに同期から出し抜かれ、ときに経営陣の方針に戸惑わされる。しかし、最も自分の力不足を感じるのは、「後輩の育成」ではないでしょうか。20代の会社の若造に「もう辞めます」「やる気がでません」「僕らの世代とは違うんで」と言われてしまったときに、あなたならどうしますか。ものわかりのいい上司になりたいのに、なれない。そんなジレンマを解消するために、人材と組織のプロフェッショナルである曽和利光氏から「40代が20代と付き合うときの心得」を教えてもらいます。
「職場の20代がわからない」を最初から読む言葉は変わるもの
いろんな考え方の人がいると思いますが、私は、言葉は生き物であり、時代によってスタンダードはどんどん変わっていって良いと考えています。
誤って用いられた読み方や意味のほうが広く行き渡って、一般的になった言葉も多々ありますが、それを「言葉の劣化」とみるのではなく、「変化」と捉える。元々言葉はコミュニケーションの道具なわけで、そう考えると、多くの人に通じる言葉がその時代のスタンダード、と考えて良いのではないでしょうか。
極端な言い方ですが、一人称の多いことで有名な日本語は、時代によってどんどんそれが変化しています。昔は自分のことを「拙者」とか「小生」という人がいましたが、今では少数派でしょう。「私」と言う人を失礼だと思う人もいません。また、「さぼる」は日本語として定着していますが、元々はフランス語の「sabotage(サボタージュ)」から来ている言葉です。しかし、これも今では「若者言葉だ」「乱れている」と言う人はいません。
「悪い」のではなく「合っていない」
さて、このようなことを前提として主張したいのは、若手の言葉遣いを頭から「悪い」と決めつけないほうが良いのではないかということです。表題のように「言葉遣いが悪い」と偉い人から言われるのは、おそらくその偉い人に敬意を払った言葉遣いをしていないということなのでしょう。しかし、彼らは彼らの言語世界の中で、相手に対して敬意を払っているつもりかもしれません。
ただ、相手には通用していない、合っていない。通じなければ意味はないという考え方もありますが、コミュニケーションは発信側と受信側があり、どちらがどちらに合わせるべきかというのは、その時々によって違います。それを「あちらが正しくて、君たちは間違っている、悪い」としてしまっては、若者は納得いきません。「はい、わかりました」と一応返事だけはしても、最近の言葉の変化についていけない頭の固いオッサンの戯言と腹の中では思ったまま、溝は深まるばかりです。
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