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言葉を合わせろという傲慢さ

先日、某国の大統領が日本人記者の英語での質問に対して、「何を言っているのかわからない(I can’t understand you.)」と一笑に付して、「それは失礼ではないか」という声が多く上がりました。似たような議論ではないかと思います(逆に「英語力の低い記者のほうが問題だ」という意見もありましたが……)。
今や英語は世界語であり、英語を母語としない人も一生懸命勉強をして、英語を話そうとしています。それに対して英語が母語であるという圧倒的に優位な立場の人が歩み寄ることなく、「あなたの言葉はわからんな」と突き放す。なまっていようが、少々言葉遣いがおかしかろうが、表現方法よりもその内容が大事であり、注意深く聞けば意味がわかるなら、そうすれば良いのではないかということです。
我々オッサン世代は若い人よりは偉くなっていることも多い。そしてその立場から「俺たちの言葉に合わせろ」と言うのは少しばかり傲慢かもしれません。
 

言葉ではなく、メッセージを聞く

正直、オッサン世代である私も、若者言葉を聞いていて、つい腹が立つことはあります。ただ、後でよくよく考えてみると、敬語がない発言の意図は親近感の表れであったり、婉曲表現のないストレートなネガティブ発言は、怒らずに受け止めてくれるという信頼の証であったりという、別なメッセージ(伝えたい思い)が見えてきます。もし、表現方法だけで怒って注意をしていたら、それらのメッセージはどこかに消えてしまいます。
もちろん、メッセージ自体がダメなら注意すべきです。重要なのは、お世話になっている取引先の人を軽んじる思いを持っているのかどうかということです。「お客様に対して失礼な言葉遣いをしたらしいね」ではなく、「君はお客様に対してどんな風な思いを持っているのか」と聞くべきです。
そして、もしお客様を軽んじているなら、そのことを叱責すべきでしょう。もし、メッセージはおかしくなければ、そこはきちんと認めてあげて、ただ、相手に合わせた言葉遣いをしないと、せっかくの正しいメッセージが伝わらないよと諭してあげるべきでしょう。


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