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19歳で上京。東京暮らしが長かったが、30代後半でふと思いついた


特別大きな夢があったわけではないが、昔から絵を書くことが好きだった。高校卒業後、父親の転勤とともに大阪に移り住んだが、自分の特性を活かしたいと1年間働いて資金を貯め、デザインの専門学校へ入学した。
「専門学校の卒業後は、制作会社のデザイン部門に入って、レコードのジャケット制作などの経験を重ねました」。
その頃の居住地は、東京都練馬区。幼少期を過ごした神奈川、大阪とも違う、なじみのない場所だ。デザインの仕事は東京に集中しており、働くならば当然、東京に住むもの。そう感じたからこその選択だった。
「本当は山手線沿いに住みたかったんですけど、まあ家賃が高い。それで練馬に……。住みやすくて結局ずっと練馬にいたんですけどね(笑)」。
20代30代のほとんどの時期を練馬で過ごし、移住を決意したのは、今から3年前。何かきっかけがあったのだろうか。
そう尋ねると、「あの頃は疲れていました」と言葉少なに苦笑い。
「誤解を恐れないで言うと、仕事にも生活にも刺激を感じなくなっていた時期だったんです。昔から好きだった海の近くにどうしても住みたくなって……、辻堂ってちょうどいいんです。アクセスが良くて、職場にも乗換なしで1時間で行ける。自然も豊かだし、いい意味で栄えすぎていないところも好感が持てました。ぼくにとっては藤沢は都会すぎて、茅ヶ崎はちょっと寂しく思えた」。
もともと海が好きで、地元だった海老名から足繁く通い、小さい頃の趣味はボディーボード。歩いて5分で海を感じられる辻堂に惹かれた。ふらりと訪れたまま、物件を見て即決。さらに引っ越しを決めた際、これまで使っていた家具や家電はすべて捨ててしまったという。
「部屋のまんなかに新しく購入したベッドをひとつ、ポンと置いて。仕事用デスクもなくて、ダンボールの上で仕事をしています(笑)。前の家からは何も持ってきませんでした。それで十分だと思えたんです」。
そう話す表情はとても晴れ晴れとしている。移住と一緒に、モノも、こだわりも、さまざまな執着を東京に置いてきたようだ。


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