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家族とのすれ違い。そんなとき、お遍路に出会った


高知県での新たな暮らしは伊藤さんの働き方や生活にさまざまな変化をもたらしたが、それはいいことばかりではなかった。家族との価値観の齟齬が生まれてしまったのだ。
「当時の生活は、給与も十分とは言えない額だったし余裕があったわけではなかった。家もなかなか決まらなくて、仮住まいのような村営住宅で家族3人暮らす時間も長かったし……。でも僕自身は大好きな自然のなかで生活するだけですごく満足だったので、てっきり家族も同じ気持ちだと思い込んでしまっていたんです」。
幼い子供を見知らぬ土地で育てる奥さんと、いつのまにか少しずつ心の距離が生まれていることに、仕事に追われた伊藤さんは気づけなかった。
「時々、グチのようなものは聞いてたけどそこまで深刻なことだと思っていなかった。だから妻が子供を連れて東京に帰ってしまって、初めて妻の想いに気づいたんです」。
気づいたときにはもう遅かった。伊藤さんが「お遍路」に出会ったのはそんなときだ。それは以前の住人が残していった高知新聞のコラム記事がきっかけだったという。
「何気なく読んだ、お遍路の記事に惹かれるものを感じました。当時のお遍路というのは金も持たずに歩くこと。無一文で歩いて歩いて、物乞いをする。物乞いをして自分を『底の底』まで持っていくことで見えてくるものがあり、それが人と人が内実ある繋がりを持って生きるためにも必要だというような内容でした」。
ふと目に止まったそんな文章に感銘を受けた。「お遍路」に挑戦することになったのは、2014年春。仕事が休みになった3週間の時間を使い、ひとまず半分巡ろうと思った。
「物乞いはできなかったけど、托鉢なら挑戦できるかなと。菅笠をかぶって白衣を着て、片手に金剛杖を持ち道に立っていると自分がそのへんの石ころになったような、とても静かな気持ちでいられました。このまま一日こうして過ごしてもいいなと思えるぐらい、不思議と心地良い時間でしたね」。
道中、伊藤さんがどんなことを思いながら巡ったのかはわからない。それでも「お遍路をして良かった」そうはっきりと言えるような時間を過ごせたことだけは確かだ。



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