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21歳で大学に入学し、25歳で専門学校へ

一念発起して猛勉強し21歳で大阪の大学に入学。経営・経済学を学んだ。
「正直、社長になろうと思って大学に入ったものの、どうすれば社長になれるのか、まったくわかってなかったんです。でも、営業職の内定が決まった4年の夏休み、パチンコ店員時代に出会ったデザイナーと再会したら4年間でさらに実績を積み、大きな仕事をいくつもしていた。彼と将来について話したとき、このまま肩を並べて対等に付き合えるのか? と考えさせられました」。
山田さんは内定を辞退。友人のデザイナーの影響で、興味があったクリエイティブ業界を目指すことに決めた。
卒業後はデザインの最先端を学ぶために地元を離れ、東京のデザイン専門学校へ入学。そこでは、下は18歳、上は60代まで、幅広い年齢層の個性豊かな友人との出会いもあった。
「25歳での専門学校入学だったので、『友達はできないだろうな』『勉強だけできればいいや』と考えていたんです。ところが、実際は僕より年下でもしっかりしていてモチベーションの高い子が多く、すぐに打ち解けることができました。今でも当時の友人たちとはつながっています」。
卒業後は縁あってテレビ局のクリエイティブを担当するディレクターに抜擢。27歳、遅咲きの新入社員である。
テレビ局では大きな仕事も任され、現場で学んでは、家に帰って、また勉強。そんな日々だったという。山田さんがすごいのは、大企業にポジションを得ても、「社長になる」という目標を見失わなかったことだ。
「テレビ局で働き続けても、さすがに社長になるのはハードルが高すぎる。夢を捨ててしまっていいのか? 立ち止まってよく考えた結果、30歳という節目で会社を辞めることにしました」。
有給を消化しているとき、ちょうどいいタイミングで大手メーカーの大きな案件を手伝わないかと声がかかった。「制作期間も長くなりそうだったので、そのまま独立することにしたんです」と山田さんは振り返る。
とはいえ20歳から学び直しをスタートし、20代後半で得たテレビ局のディレクターというポジション。普通なら、またいちからのスタートに戻るのは怖い。しかし、山田さんは目標を見失わなかった。


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