「ネオ角打ち」という名の愉悦Vol.5
酒屋の店頭で飲むスタイルを「角打ち」と呼ぶ。「四角い升の角に口をつけて飲むから」「店の一角を仕切って立ち飲み席にするから」など名称の由来は諸説あるが、いずれにせよプロの酒飲みが集うイメージ。一般人には少々敷居が高い。しかし、最近では誰でも入りやすい新しいタイプの角打ちが続々と登場している。そんな「ネオ角打ち」の魅力に迫る連載です。
足立区北千住といえば、東京三大煮込みのひとつとされる老舗店「大はし」が有名だ。しかし、この大衆居酒屋天国にクラフトビール専門の角打ちがあるという。
クラフトビールとは小規模な醸造所で職人が造っているインディーズ系ビールだ。ときわ通り、通称「飲み屋横丁」をずんずん進む。
路地はまだまだ奥に続くが、歩くこと2分ほどで目的の店に着いた。その名も「びあマ・びあマBAR」。
外観がアーティスティックすぎて、うっかり通り過ぎてしまった。僕が知っている北千住ではない。
店長の石田哲也さん(39歳)が話を聞かせてくれた。「いやあ、どうもどうも」と物腰も柔らかで、一気に緊張がほぐれる。
「うちは千住で50年以上続く酒屋で、クラフトビールも数多く扱っていたんです。ところが、最近になってお客様から『バースタイルでも飲みたい』とのご要望が相次ぎまして。そういえば、上野以北にはクラフトビール専門のバーってあまりないなと思い、昨年10月にオープンしました」
ちょうど1年前だ。ここでは、ほぼ日替わりでラインナップが変わる10種類の生ビールが飲める。さらにすごいのは、冷蔵ケースに並ぶ約1200種類のボトルビールと缶ビールが酒屋価格プラス200円で選び放題なのだ。角打ちの真骨頂である。
1杯目は生にしよう。石田さんに「柚子の皮が入っていて飲み疲れしない味」と勧められた「FARYEAST×びあマ 紬-つむぎ-」をいただく。
美味しい。繊細な味わいで、醸造職人と対話しているような感覚になる。目を閉じて官能の世界に浸っていると、石田さんから声がかかった。「ちょうど、クラフトビールを輸入されている方がいらっしゃいました」。
彼はインポーター(輸入会社)という業態で、おもにアメリカ東部のクラフトビールを取り扱っているという。そして、本日の日替わり生ビールの3番から9番まではすべて中村さんが仕入れたものだそうだ。
おっと中村さん、2杯目をいただきます。「初心者の方にオススメなのは3番の『EVOLUTION LOT#3 IPA』でしょうか。メリーランド州で造られたものです」。
石田さんが奥のショップコーナー担当なのに対して、こちらの古澤さんはバーコーナー担当。基本的に2人で店全体を切り盛りしている。
うーん、こちらもすごい。最近はホッピーやレモンサワーばかり飲んでいたが、あれ、ビールってこんなに美味しかったんだと再認識させられた。そして、ピクルスに入っているウズラの卵が絶品だった。
ここで、ふと壁のサインに気付く。あ、お客さんが自由に書いていいシステムなのかな。いい記念だ、「OCEANS見参!」などと洒落込もうか。そう伝えると、古澤さんが激しく首を振る。
「あれは、ビール醸造家の人たちが書いたもの。とくにオープンの1週間後にジェームズ・ワットがふらっと立ち寄ってくれた時は感動しました」
失礼しました。ジェームズさんはイギリスの人気醸造所「ブリュードッグ」の CEOで、クラフトビールの世界では神様のような存在らしい。
「これですよ、この『PUNK IPA』で一躍有名になった人です。イギリスと北欧で最も飲まれているクラフトビールで、著書の『ビジネス・フォー・パンクス』は日本でも昨年発売されています」
店内には面白いものもあった。
とにかく、1200本という数に圧倒される。狭い通路以外はすべてクラフトビールのボトルと缶が収まった冷蔵庫なのだ。
さっきまでカウンターの隣で飲んでいた男性が、まとめ買いしていた。「この店がきっかけでクラフトビールにはまりました」。
彼にならってボトルに切り替えるとしよう。まったくの素人なので、ジャケ買いならぬラベル買いにする。すると、懐かしきテレビアニメ『フランダースの犬』を見つけた。
ベルギー産のブラウンエールで、説明書きには「ロースト麦芽による香ばしさ、イチジクやプルーンのようなニュアンス」とある。酒屋価格450円に200円を足してお値段650円也。
牡蠣の殻と身を丸ごと入れて醸造したという黒ビール。ちょっと味の想像が付かないが、飲んでみると、なるほど、黒ビールだった。濃厚なのにさっぱりとした後味で、牡蠣との相性は抜群だろう。
気付くとカウンターでマダムたちが楽しそうに飲んでいる。「よくいらっしゃるんですか?」と聞くと、古澤さんが渋い声で「3人ともうちの会社の従業員なんです」。
酔いも回ってきたので、彼女たちに「古澤さん、モテそうですよね」と振ると、当の古澤さんがグラスを落としそうになった。すかさず、マダムのひとりが「ほら、褒められて緊張してるんじゃないわよ」と突っ込む。
街は時代とともにゆっくりと姿を変える。圧倒的なクラフトビール愛に満ちた“ネオな”角打ち「びあマ&びあマBAR」も、そのきっかけになる店かもしれない。
取材・文/石原たきび