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2017.04.15

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映画のときに優しいジャイアンみたいなものだよ


東京の電車は混んでいる。
インドやバングラデシュなど、屋根にまで人を乗せて走っている電車に比べればマシかもしれない。
比べる対象が少し極端かもしれないが、そう思えばこのすし詰め状態の車内で、少しは気持ちも晴れるというものだ。
駅に着くたびに押され、いつのまにか私は同じ会社の先輩後輩らしきサラリーマンに挟まれていた。
そのサラリーマンは、私を挟み会話している。
端から見たら、私も仲間に見えることだろう。
そんな状態なのだから、必然的に会話が聞こえてしまう。
「街角OSSANコラム」を最初から読む
先輩「今日の課長のキレ方半端なかったな」
後輩「あんなにキレられたら、僕明日から消えますね」
先輩「まぁ、あの新人も悪いんだけどな〜」
後輩「僕、正直課長苦手です……すぐ怒るじゃないですか〜。この前も、残業のときカップ麺食べてたら、いい匂いさせてんじゃね〜!って怒鳴られましたからね」
先輩「冗談だろ?」
後輩「いや、あれはマジのテンションでした。課長って昔からそうなんですか?」
先輩「会社では厳しい人かな〜でも昔、一度だけ課長の家に行ったことがあるんだけど、家族の前だとむちゃくちゃ優しいパパなの。「何飲む?」とか課長が飲み物出してくれたし。」
後輩「全然キャラ違うじゃないですか〜」
知りもしないのに「あの鬼課長が!?」と思わず声を出しそうなほど、いつの間にか聞き入っていた。 そんな状況の中、名言が飛び出した。
先輩「映画のときに優しいジャイアンみたいなものだよ」
まさにその通りである。
日本人は、特別なのときにキャラが変わる人を、幼い頃から見ているのである。
私の国でも、ドラえもんを見ることができた。
映画ももちろん観たことがあるし、 映画で優しくなるジャイアンに何度も涙腺を壊されてきたのである。
そもそも、キャラクターを変えることは必然で、自分もそうであるように、 ときと場合によって使い分けるものだ。
しかし、他人のこととなると話が変わってくる。
同じ人間であるにもかかわらず、厳しい人はどこに行っても厳しいものだと勝手に解釈している。
相手の一面だけを見て、そういう人だと決めてしまう。
わかっていても知らずにそうしているのだ。
変わらない部分もあるが、いつも笑顔の人だって仲間が傷つけられたら怒るだろうし、 いつも怒っている人も、自分の子供の前では優しくなるに決まっている。
当たり前なのだ。
その当たり前を、ジャイアンは自分のキャラクターを通して子供の潜在意識に植え付けている。
さらには、映画で普段と違うキャラになることで「優しい人」という印象を強くするという、 わかりやすいギャップ効果までも植え付けているのだ。
我々がギャップに弱いのは、ひょっとするとジャイアンのせいかもしれない。
人の無意識に、ここまでジャイアンが関わっていようとは……ジャイアン恐るべしである。
専門チームを立ち上げ、ジャイアンを「知る人」と「知らない人」でギャップに対する弱さを検証してみたいものである。
きっとこの後輩サラリーマンも、明日から課長を見る目が変わるに違いない。
ちなみに、大人になって思うのは、 ジャイアンではなく、スネ夫のような生き方が1番出世する可能性が高いということだ。
文:ペル・ワジャフ准教授

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