オッサンになると、流行にのることがおっくうになってくる。
新しいことを覚えるのが面倒くさくなるからだ。
そんなオッサンが今まさに直面している問題が【りゅうちぇる問題】だ!
ことあるごとに登場し、観ない日などないと言ってもいいほど売れている彼は、まさに流行と言っても過言ではない!
これが流行ではなく、後のスタンダードになるのならば、無視はできない。それに、流行を追うことを恐れていては、世の中の流れから孤立し、老いを待つのみになってしまう!
【オッサン、りゅうちぇると向き合う】では「りゅうちぇる」、彼をどうやって好きになるか……
難しい! オッサンにとっては何がいいのか?どう受け止めていいのか?
全くもって理解不能な存在である。
とっかかりすら掴めない!
あの風貌から、まともに向き合うことすらも恥ずかしい。
まさに難攻不落!
オッサンにとってとんでもなく高いハードル……
小さい頃、漁師だった父から「流行なんぞ追うくらいなら、海鳥を追いなさい。
そうすれば美味しいニシンにありつける」と教えられて育った。
確かにそうだよな……
いや待て! こんなことで心を折っている場合ではない!
ここは小さな漁師町ではない!大都会東京!
街角に立てば、いやがおうにも流行にかち合ってしまうのだ!
秀吉は、難攻不落と言われた小田原城を、心理戦で落とした。
どこかに突破口は必ずあるはず……
では、別の角度から攻めてみようではないか!
【りゅうちぇる=志茂田景樹?】「志茂田景樹さんよりは見れる」という視点で考えてみるのはどうか?
1990年代初頭、個性的なビジュアルでテレビに引っ張りだこだった「志茂田景樹」。我々にもなじみがある彼を基点に考えてみよう!
見た目の作りは一緒だが、「りゅうちぇる」には圧倒的な若さがある。声も2トーンくらいは高い。そこが「志茂田景樹」的な個性を中和しているポイントでもある。
また、「志茂田景樹」は直木賞作家なのに奇抜な格好をしているというギャップを持っている。
「りゅうちぇる」に目立ったギャップはない。奇抜な人が奇抜な格好をしているだけだ。ヒネリがない分、取っ付きやすいのかもしれない。
「平野ノラ」が、バブル時代を象徴的になぞり復活させ支持されたように、「りゅうちぇる」もまた「志茂田景樹」を象徴的に復活させた。
そういうことなのだろうか?
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