OCEANS

SHARE

  1. トップ
  2. ライフ
  3. 使いこなせなくとも12色より36色の色鉛筆! それが男というものだよ

2017.04.01

ライフ

使いこなせなくとも12色より36色の色鉛筆! それが男というものだよ


郊外のホームセンター。
ホームセンターは大きければ大きいほど楽しいものである。
品数に比例して、男の冒険心はくすぐられる。
「え!? こんなものまで売ってるの!?」という驚きに満ちているのだ。
以前、マラソンの折り返し地点などに置かれている2m以上はあるコーンが売っているのを見たときは、衝撃を受けた記憶がある。
よくよく考えれば、世の中にあるものなので、どこかに売っているのは当然のことなのだが……まさかホームセンターで買えるとは思ってもみなかった。
いったい誰が買うのか? ふらっと来て買って行く人などいるのだろうか? これを持った外国人がレジに並んでいたら、周りはどんな反応をするだろうか? そんなことを思うだけでワクワクしてしまう。
そんなワクワクに出会うため、店内をうろついていると、キャンプ用品の売り場である夫婦が会話をしていた。
「街角OSSANコラム」を最初から読む
妻「どうせ使わないでしょ〜」
夫「使うよ〜」
そう言う夫は、自宅で簡単に薫製が作れるキットを抱えている。
ホームセンターの落とし穴、ついつい余計なものを買ってしまうという罠に引っかかっているのだ。
男の冒険心は、ときに不必要なものを買ってしまうというデメリットをもたらす。
すぐに必要なくても「使ってみたい」「いつか使うんじゃないか」そんな不確定な気持ちで、余計なものを手にしてしまう。
そこから広がるワクワクと妄想は、男の冷静さを奪い去り、必要と不必要の境界線をうやむやにしてしまう。
そうなるともう歯止めは効かない。
場合によっては、「世の中に、余計なものなど無い。不必要なものなど無いのだ!」 という、一種の悟りの境地に達することもあるのだ。
そんなとき、女性というのは極めて冷静である。
特に夫婦間では、夫が妄想の羽を広げれば広げるほど、妻の冷静さは切れ味を増す。
妻「だってキャンプなんて結婚して1度も行ったこと無いじゃない」
夫「キャンプ行かなくても、ベランダで作れるじゃん」
妻「そんなの近所迷惑でしょ〜。どうせ1度使ったら飽きてベランダに置きっぱなしになるんだから……絶対必要ないって〜。男の人ってすぐそういうの欲しがるよね〜。小学生のとき、無駄に36色の色鉛筆とか持ってたでしょ?」
奥さんの正論が夫を完全に論破している。
こうなってはおそらくこの夫婦は薫製キットを買うことは無いだろう。
しかし、その妻のひと言に夫が苦し紛れに放った言葉が、私に突き刺さる。
夫「使いこなせなくとも12色より36色の色鉛筆! それが男というものだよ」
名言である。
赤と朱色とイタリアンレッド。決して使いこなせるわけではない。
本来なら赤だけで十分である。
しかし、朱色とイタリアンレッドがあれば、同じ赤でもバリエーションが広がる。
同じ太陽の絵を描いても、人とは違う太陽が描けるかもしれない。
この「かもしれない」というところ、可能性にこそ男のロマンがある。
何度も言うが、決して使いこなせるわけではない。使いこなせるかもしれないのだ。
今は必要なくても、将来必要になるかもしれない。
必要としたい。使いこなしたい。
その希望に満ちた部分、つまり可能性を追い求める、それが男なのだ。
持っていなければ、その可能性は断たれてしまう。
持っているからこそ感じられる可能性なのだ。
子どもの頃から持つ、その気持ちがホームセンターの薫製キットに繋がっているのだろう。
そんな気持ちで、私は今高圧洗浄機を手にしている。
どんな汚れも綺麗に落としてくれるという代物だ。
うちの外壁はそんなに汚れていただろうか? 車は? そんなもの関係ない! 使うことで自分の知らない世界が見えるかもしれない。
その可能性にかけてみようと思う。
文:ペル・ワジャフ准教授

次回を読む



SHARE

次の記事を読み込んでいます。