37.5歳の人生スナップ Vol.52
2019.04.15
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Gショックデザイナー・橋本威一郎(39)が見つけた、革新の生み出し方【前編】

橋本威一郎さん

「入社した当時は、やばい会社に入ってしまったなと思いました(笑)」。

G-SHOCK(Gショック)のデザイナー・橋本威一郎さん(39歳)は、カシオ計算機に入社した当時のことを思い出し、冗談めかして笑う。

1983年の発売以来、壊れない頑丈な腕時計として全世界累計出荷台数1億を超えるGショック。35周年を迎えてもなお愛され続ける無骨なデザインと精緻な造りは、男ならば誰もが好感を抱くアイテムだろう。

現在、橋本さんはプロユースを焦点に過酷な状況下での使用を想定したMASTER OF Gシリーズを担当。シリーズの“空”部門にあたる「グラヴィティマスター」シリーズからこの春誕生した「GWR-B1000」をデザインした。その革新的なコンセプトとデザインは、今シーズンの発表から大きな注目を集めている。

GWR-B1000

「『グラビティマスター』に関わり始めたのは3年前。Gショックといえば裏蓋のデザインが特徴的ですが、あえて裏蓋がない独自のデザインを提案したところからスタートしました」。

従来のデザインとは異なり、ケースと裏蓋を一体構造にすることで強度や気密性を確保。高強度のカーボン素材を使用して耐衝撃性を高め、軽量かつ革新的なパイロットウォッチを生み出した。

グラビティマスター
[左]最初期のモックアップ、[右]2019年3月に発売された「GWR-B1000」

「段ボール一箱ぐらいのスケッチを重ねて、納得のいかない部分は描き直して。技術面でもOKが出るまで繰り返しました」。

橋本さんのデザイナーとしての経歴は、カシオ計算機の製品の歴史とも重なる。橋本さんは電卓のデザインからスタートし、電子辞書、楽器、プロジェクター、デジタルカメラ、携帯、そしてGショックへと部門を変えてきた。カシオ計算機のなかでも、彼のように一通りの製品をデザインした人は少ないという。

次世代機を生み出し続け、デザイナーとしても成熟を迎えようとしている橋本さんは、不惑を目前に「仕事も遊びも全力がいい」と目を輝かせる。今回は、そんな彼のイノベーティブなデザイナー人生に迫った。


剣道一筋だったスポーツマン、デザインの道へ

もともと図工好きな少年だったという橋本さん。とはいえ、デザイナーを志したのは高2の夏。夢を掲げ、美大を目指すには遅いくらいだった。

橋本威一郎さん

「小中高と剣道部で、中学、高校では関東大会にも出場しました。部活一筋の青春時代だったので、進路を考える段階になってやっとデザイナーという道を考え始めた。周りの友人や先生はビックリしてましたけどね。剣道部の子がなんで急に!? って。美術の授業を受けていないと美大は入れないので、美術選択のジャンケンで友達に負けていたら今ここにはいなかったかも(笑)」。

美術の成績は学年トップ。持って生まれたセンスが認められたのだろう。ストレートで美大に合格し、デザイン学科に入学。工業製品のデザインを専攻した。デジタル機器のデザインに憧れ、新卒で入社したのがカシオ計算機だった。

入社当時の橋本威一郎さん
入社当時、関連会社を見学する際に開催された懇親会にて。なんとも初々しい。

「最初に配属されたのは、電卓部門。正直、電卓って定規さえあればデザインできちゃうんじゃない? なんて当時は考えてて。角の丸みがほんの少し違う電卓のデザイン図面を10個並べて、みんなが図面の前でどれがいいか真剣に悩んでいるのを見たときは、やばい会社に入っちゃったなと思いました(笑)」。

しかし電卓のデザインは想像以上に奥深く、ボタンに対する文字の比率、一見して文字が均等に情報として入ってくる文字組みのバランスなど、恐ろしいほど計算され緻密に作られていた。

「いったい何が違うの? と思ったけど、角の丸みがほんの少し違うだけで、全体の印象や持った時の感触が変わるんです。その違いがお客さんをこれだけ減らしてしまうかもしれないとイメージする。製品への本気度が桁違いだと実感しました」。

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デジタルカメラ、携帯、そしてGショックに出合うまで

ときに仕事に行き詰まったら、社内を散歩した。まだ世に出ていない製品の開発現場を肌で感じられることが刺激に繫がったという。

「開発現場って、みなさんが想像しているようなスタイリッシュな環境じゃない。もっと泥臭かったり、と思ったら和気あいあいと進めていたり。さまざまなチームのデザインを生で見て勉強できるのが楽しかったですね」。

電卓部門を3年ほど経験し、電子辞書のデザインを担当。その後は楽器とプロジェクターを兼任し、デジタルカメラを担当。多いときは5つのプロダクトデザインを同時に任せられることもあったという。デジタルカメラではカードサイズの優れた携帯性と高機能、そこに“タフさ”を加えた「EXILIM(エクシリム)-G」を担当した。

EXILIM G

「当時は耐衝撃の薄型カメラという製品はほとんどない時代。企画を含めてゼロから部品を配置して作り上げていきました。デザイン的にいまだにファンの方から褒めていただけることもある自信作です」。

グッドデザイン賞にも輝いた「エクシリム-G」。実績を重ねるなかで、次に橋本さんが挑戦したのは、当時多くの競合他社が参画していた携帯電話だ。「G’zOne(ジーズワン)」と聞けば、懐かしい気持ちになる人もいるのではないだろうか。

G’zOne

カシオらしい耐水・耐衝撃性能を備えた携帯電話機は、Gショック同様にタフネスを追求したモデルとして、アウトドア好きや建設現場など屋外で働く人々に圧倒的に支持された。

「カメラ、携帯……と“タフネス”をテーマにした2大ブランドを経験し、それじゃあ残っているのはアレしかない! と思って、異動を希望しました。それが5年前。私にとって大きな転換期でした」。

カシオでタフネスといえば、やはりGショック。30代半ばに差し掛かった橋本さんは、ついに憧れでもあったGショックデザインのスタート地点にたった。しかし、そこはこれまでの現場の常識が通じない、規格外の場所だった。

【後編】へ続く

藤野ゆり(清談社)=取材・文、小島マサヒロ=写真

# 37.5歳の人生スナップ# G-SHOCK# グラヴィティマスター# デザイナー# 腕時計
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