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2021.07.01

ライフ

“サーフィンと防災”を掛け合わせた未来型プロジェクト。その実態を中心人物に聞く

東日本大震災の被災地、宮城県亘理町で未来的な試みが動き出した。サーフィンなどのカルチャーと「防災」を掛け合わせ、新しい文化を発信する試み。
だが、どのように「掛け合わせる」のか?中心人物の2人に聞いた。
 

復興の手段としてのサーフィンとは?

新たな復興支援のカタチ。“サーフィンと防災”を掛け合わせた未来的プロジェクトとは
[左]ワンテーブル 社長 島田昌幸さん Age 38
北海道出身、宮城県仙台市在住。当時勤務していた会社のオフィスで被災。その翌日から支援活動を始めた。2016年、防災事業ベンチャー「ワンテーブル」を起業。7年かけて長期保存可能な防災備蓄ゼリー「ライフストック」を開発した。自身もスポーツ好きな一面を持つ。
[右]プロサーファー 湯川正人さん Age 29
東京都出身、神奈川県茅ヶ崎市育ち。17歳でISA U-18日本代表に選出。プロ資格取得後も試合には出場せずに波を追うフリーサーファーとして活動。プロサーファーを軸にファッションブランド「メイソン・メイズ」や、クリエイティブレーベル「GODPANIC」を手掛ける。
東日本大震災時、低平地が広がる宮城県仙台市では海岸から内陸へ約5kmを超えて津波は到達した。あれから10年が経ち、沿岸部もインフラが整備されてきた。
次なるステップはカルチャーの創出となる。そう考え、人々の心と生活を豊かにし、被災地ならではの知見を発信するため、動き出した地元企業がある。
それが5年長期保存可能な防災備蓄ゼリー「ライフストック」を手掛けるワンテーブル。同社は、サーフィンやスケートボードなどのカルチャーで地域を盛り上げながら防災意識を高めるWATARI TRIPLE「C」PROJECTをスタートさせた。
では、どのように各カルチャーと防災をつなげていくのか?そしてどのような地域づくりを目指すのか?総合プロデューサーでワンテーブル社長の島田昌幸さんと、同プロジェクトに参画するプロサーファーの湯川正人さんに聞いた。
——プロジェクトにサーフィンを取り入れた理由を教えてください。
島田 震災から10年が経って、防潮堤や道路などハード面は整備されました。ただ生活再建、仕事づくり、文化財の補修といったソフト面は遅れていて、ずっと心を育てていく必要性を感じていたんです。
特に沿岸部は津波という大きな災害があり、以来、海に入っていない地元の人たちも、生まれて一度も海に入ったことのない子供たちもたくさんいます。
ときに自然は猛威を振るい、人命を奪う場合がありますが、人は自然との調和のなかで生活していくべきではないかと思っていますし、だからサーフィンを通じて海に入っていいんだと思えるきっかけづくりをしたいと思いました。
津波による恐怖から完全には解放されなくても、もう一度海や自然とともにある暮らしを取り戻していく。そのような機会にできればと思っています。
——サーフィンと防災をどうつなげていくのでしょうか?
島田 防災を突き詰めて考えると、人と人のつながりが大事であるということに思い至りました。災害時には、顔と名前を一致させて覚えている人の多さが、結果として多くの命を救うことにつながる。
たとえば、車椅子で動けないおじいちゃんがあそこの家に住んでいると知っていることが大切で、つながりがあれば、助けられる命も多い。かといって防災訓練を繰り返すだけでは面白みに欠ける。
サーフィンやスケートボード、アートといったカルチャーがコミュニケーションツールになれば、楽しみながらつながっていける。そこで各界のオーソリティの協力が必要になりました。
——サーフィンでは湯川さんの力が必要になったわけですね。
湯川 今回はサーフィン部門のプロデュースを担当し、プロサーファーの練習しやすい環境づくりなどを手掛けていきます。サーフィン環境の面でいうと仙台エリアは常に波がある印象ですし、加えて海外で活躍するための語学、メンタルケア、身体のメンテナンス方法なども習得できる場にしていく予定です。
さらにWATARI TRIPLE「C」 PROJECTはスポーツ、音楽、食、アート、テクノロジー、ヘルスケアという6つの分野から構成され、各ジャンルでトップを目指す人が亘理町に集います。互いを刺激しあい、成長を促せる場所にしていけると思っています。


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