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2021.06.08

ライフ

「海ではいつでも自由」事故に遭い、ニーボードと出会い、気付いた乗り方の多様性

小林征郁さんは事故で怪我を負ったことがきっかけでニーボードを始めた。
そうして知ったのは、人はそれぞれの個性に合わせて道具を選べば、サーフィンは誰にとっても身近であり、海はいつでも自由を与えてくれることだった。
 

ニーボードから見いだした、サーフィンの新たな楽しさ

車椅子サーファーがニーボードと出会い気づいた“アダプティブサーフィン”という乗り方の多様性
サーファー 小林征郁さん Age 41●群馬県生まれ。20歳の頃、サーフィンの帰りに交通事故に遭い脊髄を損傷。下半身不随となったものの、ニーボードに光を見いだす。2016年以来、日本代表として「ISA世界パラサーフィン選手権」に連続出場。ワールドチャンピオンを目指して邁進中。またピースカフェを愛知県東海市で経営、群馬県高崎市で監修している。
ボードの上に正座をして波に乗るニーボードを知っているだろうか。起源は古く、1960年代。ロングボードが全盛だった頃にさらなるスピードとスリルを求めて生まれた、より切り立つ波に適したサーフィンだ。
日々ニーボードを楽しむ小林征郁さんは、その魅力をこう話す。
「サーフボードに立って乗るよりも体全体が波に近いため、小さな波でもサイズが大きく見える。体感スピードがすごく、波のエネルギーを強く感じます。波の斜面に腕全体を入れたりしながら、全身を使ってターンをメイクするのも楽しいですよ」。
豪快でスリリングなサーフィンを見せる小林さん。嬉々とした表情から、小林さんがどれだけ自由を感じて楽しんでいるかが伝わってくる。波があるなしにかかわらず、ほぼ毎日海に入るという。目標はワールドチャンピオンだ。
特有の楽しさがあるものの、世界のサーフシーンを見てもマイナーといえるニーボード。小林さんもサーフィンを始めた頃からそのスタイルだったわけではない。
18歳でサーフィンの虜になった小林さんの入り口はショートボード。海に通い始めてからというもの一気に視野が広がる感覚を覚え、数年すると「もっとサーフィンを追求したい」とオーストラリアへの留学を決意。しかし出国1週間前、アクシデントは起きた。
「海外の波に挑むのだから練習しとかなければと気合を入れて千葉の海に行きました。その帰り道で、交通事故を起こしてしまったんです」。
腕を伸ばして波を掴み、このようにターンする。
高速道路での酷い事故で車は全損。小林さんは脊髄を損傷する大怪我を負い、下半身不随となってしまった。ICUに担ぎ込まれて即入院。激しい体の痛みとともに、小林さんは大きな精神的なダメージを受けた。
「本当にごめんと、初めて親に謝ったことを覚えています」。
だが小林さんは家族や仲間の応援を受けて、持ち前のポジティブなマインドで事故から数週間後には心を前に向かせる。
またサーフィンがしたい。再び海外への思いを蘇らせ、カリフォルニアに渡った。そこでニーボードと運命的な出会いを果たしたのだった。


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