37.5歳の人生スナップ Vol.150
2021.05.29
LIFE STYLE

東京五輪が延期。現役続行か引退か、オリンピアンの出した答えと、今

「37.5歳の人生スナップ」とは…… 

2020年3月24日。新型コロナウイルスの猛威が世界に拡大するなか、この日、東京五輪の延期が正式に決まった。

オリンピック・パラリンピック史上初めてとなる大会延期。前代未聞の事態が多方面に衝撃を与えたのは記憶に新しいが、最も影響を受けたのがアスリートたちだ。「4年に一度」の五輪に焦点を合わせて競技生活を続けてきた彼ら・彼女らにとって、1年の延期はあまりにも大きい。

トランポリンの日本代表として北京五輪に出場し、2020年の東京五輪を目指していた外村哲也さんもそのひとり。出られようが出られまいが、東京五輪を機に引退しようと決めていた。けれど、「延期」はまったくの想定外だった。

今、既に第二の人生を歩き始めている外村さんに、アスリートとして過ごした半生と引退をめぐる葛藤、新しい挑戦について聞いた。

 

6歳でトランポリンの楽しさに心をつかまれる

トランポリン競技は、一般的なトランポリンのイメージとは次元が違うスポーツだ。

オリンピックでは、競技者が縦428cm×横214cmのトランポリンを使い、アクロバティックな空中演技で、ジャンプの美しさや正確性、技の難しさを競う。その跳躍の高さは8mに達するともいわれる。

1984年、ロサンゼルス五輪の体操銅メダリスト・外村康二氏の長男として生まれた外村さんは、6歳のときトランポリン競技に出会った。

父親の影響もあり、物心ついたときから体操をしていた外村さんにとって、トランポリンは「単純に楽しいと思える」対象だった。

父・外村康二氏と弟と一緒に。写真:本人提供

「体操は親に言われたからではなく自主的にやっていたし、子供心にオリンピックに出たいと思っていましたが、正直に言ってつらいことも多かったんです。毎日柔軟体操をして、手の皮がむけても鉄棒を握って。つらいというより痛かったですね(笑)。

そんなある日、茨城県に住んでいた祖父母の家の近くにあったトランポリン教室へ遊びに行くと、トランポリン専門の先生が補助付きで宙返りをさせてくれたんです。それまで経験したことのない高さから世界を見て、体操のつらさやしがらみから自分を解放できた気がしました」。

既に体操の基礎を修得していた外村さんは、すぐにトランポリンのコツをつかんだ。周囲のどの子供より上手にトランポリンが飛べたことも楽しさに拍車をかけた。

「当初、トランポリンはあくまでも体操の練習の一環だったのが、やればやるほど自分にマッチするのはトランポリンだ、この競技を極めたい、世界一になりたいという思いが強くなっていって。結局、10歳のとき完全にトランポリン競技に転向しました」。

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「恐怖心」を飼いならし、世界一に

その後、12歳のときに早くも世界デビュー。トランポリンの世界ジュニア大会に出場し、銀メダルを獲得した。順風満帆のスタートに見えたが、中学生になるとスランプが極端に悪化する。実は外村さんは、トランポリン選手としては致命的な爆弾を抱えていた。

「端的に言うと、トランポリンで飛ぶことに恐怖心を抱いてしまったんです。トランポリンの跳躍は高いからスリルがあるのは当然のことで、最初はそれをポジティブなものとして受け入れられていた。

だけど、7歳くらいのときに技の感覚が狂うようになって、スランプに陥るようになりました。例えば宙返りをするときって上で1回くるりと回って下を見ながら着地するのですが、半回転しかできずに空中で天井を見ている自分がいる。

その1秒にも満たないはずの時間を何十秒にも感じて、『なにをやってるんだろう』『どうしよう』と焦っているうちにマットに落下し、顔面に自分の膝が降ってきて我に返る、みたいなことが続きました」。

もし首から落下していたら……と想像すると怖かったし、なぜ宙返りができなくなったのかわからないのも怖かった。

これは「ロストトリックシンドローム(技の喪失症)」と呼ばれる症状で、一般的な競技者が競技人生において一度経験するかしないかというもの。外村さんの場合、それが年に1、2度もあり、しかも頻度は年々増していった。

「ロストトリックシンドロームには治療法がなく、トランポリンの先生も『怖がるんじゃない』『とにかく練習しなさい』としか言ってくれない。自分でなんとかするしかなかったので、あれこれ試行錯誤しながら対処法を考えました」。

例えば1回の宙返りを1/4に細分化してイメージトレーニングしたり、本当はトランポリンの周りにマットを敷いていないのに『マットを敷いてるから落ちても大丈夫』と言い聞かせて自分の脳を騙そうとしたり。

そうやって恐怖心に向き合いつづけた結果、高校卒業時には回復の兆しが見えるようになっていた。恐怖心がなくなったわけではないが、対処の引き出しが増えたことで恐怖心をコントロールできるようになった。この頃から外村さんの快進撃がはじまる。

2003年、19歳のとき世界選手権大会に初出場。2005年の世界選手権大会では日本史上初の全種目メダル獲得に尽力する。さらに2007年の世界選手権大会で初優勝し、子供の頃からの夢だった「世界一」を実現。もはやオリンピックも夢ではなかった。

外村さんが現役時代に獲得したメダルの一部。

 

念願だったオリンピックへの出場

2008年4月、同年の夏に開催される北京五輪への出場が正式に決まった。そのときの気持ちを外村さんは「夢見心地だった」と振り返る。

「オリンピック出場は自分にとって『想定内』の目標のはずだったのに、いざ決まるとめちゃくちゃうれしくて。吉報を手にしてから、北京五輪が開催されるまでの4カ月間、ずっとふわふわしていました(笑)」。

当時のコンディションは良く、恐怖心もほとんどなかった。本番が近づくにつれてリラックスを心がけながら調整し、北京へ入った。そうして迎えた競技当日。外村さんは予選を5位で通過する。

「予選では第一演技、第二演技と2回演技をするのですが、第一演技は肩に力が入ってしまい、9位になってしまったんです。8位以上でないと決勝には進めない。そう思うとショックで、当時ふわふわしていた僕にはいい薬になったんですね。おかげで第二演技はほぼ練習通りの納得のいく内容になり、5位まで追い上げることができました」。

3日後の決勝は、演技の美しさと技の難易度が両方必要になる予選の第二演技と同じルールで行われる。予選の第二演技ではあれだけうまくできたんだから、決勝もいける。外村さんは優勝も視野に、決勝で「世界一美しい」と評される演技と数え切れないほど練習してきた技を披露した。

写真:本人提供

結果は、4位。惜しくもメダルには手が届かなかった。

「予選の第二演技のときのベストなメンタルを、決勝まで維持できなかった。あるいは、メダルを意識するあまり練習に力が入りすぎて疲れてしまった。いろいろと理由はありますが、とにかく実力を出し切ることができなかったんですね。その意味で、ずっと夢見てきた五輪への初出場は不本意な結果に終わりましたが、自分の今後に活かすという意味ではとても良い経験になったと思います」。

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東京五輪の延期、そして引退

北京五輪が終わった時点で、当時まだ24歳。所属していた会社を辞めるなど環境の変化はあったが、次の目標である2012年のロンドン五輪を目指し、精力的に国内外の大会に出場した。しかし結局、ロンドンへの切符はつかめなかった。

「ロンドン五輪に出られないとわかったとき、初めて『引退』の二文字が頭をよぎりました。最終的には現役続行の判断をしましたが、自分の引退後──セカンドキャリアについて、初めて考えたのもこのときです」。

子供の頃からオリンピックのことだけを考えて生きてきて、オリンピックで結果を残すことができれば、それでいいと思っていた。だけど、オリンピックが終わったあとも人生は続く。

「そこで、2012年頃からアスリートとして活動する一方で、トランポリンイベントへの出演、講演、トランポリンの外国チームの日本での合宿の誘致・アテンド、試合解説など、副業のようなことを始めました。これまでの経験を活かして、人の役に立てることをしよう、と」。

残念ながら2016年のリオ五輪出場も叶わなかったが、次、2020年の五輪は東京で開催される。それまで頑張ってみようと決めた。

「なぜ自分はここまで五輪にこだわるのか。競技人生の後半は、そう自問自答することが多かったです。たぶん僕は、皆に喜んでほしかったんだと思います。

よく人から『五輪に出るなんてすごい、普通は経験できないことだよ』と言われてきました。それはたぶん事実なのでしょう。だったら、僕の五輪への挑戦を、僕が発信する情報を通じて皆さんに擬似体験してもらいたい。そのために、とにかく2020年までは競技を続けようと」。

しかし外村さんの奮闘もむなしく、感染症の世界的パンデミックという未曾有の事態によって東京五輪は延期に。外村さんは判断を迫られることになった。

「単に現役を続行するだけならできたと思います。だけど、僕の場合は五輪へ挑戦する姿を皆さんに見せるという目標があったし、夢を応援してくれるスポンサーさんもいました。だから体力的にも精神的にも資金的にもぎりぎりの状況で続けていましたが、延期されるとわかったとき、そこからさらに1年ベストを尽くせる環境は整わないと判断しました」。

ベストを尽くせないなら続けるべきでない。それが外村さんの出した結論だった。

後編へ続く

 

外村哲也(そとむらてつや)●1984年、東京都生まれ。幼少期から体操に慣れ親しみ、6歳のときトランポリン競技に出会う。10歳で本格的にトランポリンに転向すると、2003年にはシニアの世界選手権に初出場。2005年の世界選手権では日本史上初の全種目メダル獲得、2007年には世界選手権初優勝を飾った。2008年の北京オリンピックに出場し、4位入賞。以降、2020年6月の現役引退まで、日本代表として第一線で活躍を続けた。現役引退後は、1対1のコーチングで人をサポートする「しなやかメンタルクリエイター」として活動をスタート。18年もの間、アスリートとして世界のトップクラスを維持してきた経験をスポーツ以外の世界にも応用してもらうべく、「しなやかなメンタル」を構築し、試練を乗り越え目標を達成するサポートをしている。

「37.5歳の人生スナップ」とは……
もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。上に戻る

赤澤昂宥=写真 岸良ゆか=取材・文

# 37.5歳の人生スナップ# オリンピック# メンタルクリエイター# 東京五輪
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