37.5歳の人生スナップ Vol.141
2021.01.04
LIFE STYLE

「小杉湯」3代目当主・平松佑介。「継がなきゃ」が「継ぎたい」になるまでの36年

「37.5歳の人生スナップ」とは…… 

東京・高円寺。JRの駅から北へ向かって商店街を抜け、住宅街に入ってすぐ、唐破風屋根をいだくどっしりとした建物が立ち現れる。

1933年創業の老舗銭湯・小杉湯。近隣の住民はもちろん、全国から銭湯愛好家が訪れる、近年の銭湯ブームの立役者のひとつだ。

写真提供:平松佑介

多い日には1000人近くの客を数える、老若男女の憩いの場。その小杉湯が、いま高円寺の街づくりの拠点としてにわかに注目を浴びている。銭湯を通じて出会った小杉湯ファンたちが主体となり、事業として小杉湯の外に地域コミュニティをつくりはじめたのだ。

小杉湯に集う人びとの笑顔の中心にいるのが、3代目当主の平松佑介さん。

若き敏腕経営者、銭湯再興の仕掛け人、地域プロデューサーなどなど、平松さんを表す肩書はたくさんあるが、本人はどれも気に入らないだろう。彼は自分の仕事を「湯守(ゆもり)」と呼ぶ。

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衰えゆく産業の担い手として生まれて

写真提供:平松佑介

1980年、平松さんは小杉湯を営む両親のもと高円寺に生まれた。“歴史ある家業の長男”と聞くと、幼い頃から後継ぎとしての教育を受け……みたいな人生を勝手に想像しそうになる。けれど、平松さんの場合はそうではなかったという。

「両親から『継いでくれ』と言われたことはなかったです。ただ、うちは銭湯と自宅がつながっていて、生まれたときから小杉湯が遊び場。毎日銭湯に入っていると、常連さんたちから“3代目”として見られているのがわかるんですよ。

『次の代はお前だな』なんて声をかけられるうちに、『そういうものなのかな』と。たぶん歌舞伎とかと同じだと思うんですが、いつのまにか『継がなきゃいけない』と感じるようになっていました」。

使命感が芽生えるようになったものの、両親が楽しそうに働き、地元の人びとから愛される小杉湯のことが、平松さんも大好きだった。一方、銭湯が斜陽産業であることは、子供心にもわかっていた。

東京の銭湯の数は、1968年の2687軒をピークに減少の一途をたどっている。

戦後の高度経済成長期、東京が驚異的なスピードで復興と発展を遂げるなかで、街づくりを担う労働者が全国から流入した。彼らの住居の多くは風呂なしアパート。そこで、銭湯があちこちに建てられた。

平松さんによると、1968年の2687軒という数は「現在の東京にあるセブンイレブンの数とほぼ同じ」。銭湯は人びとの暮らしに欠かせない生活インフラだったのだ。

しかし、各家庭に内風呂が普及しはじめたことで、銭湯の数は前述の1968年をピークに減少に転じる。その後、2010年時点で800軒、2019年には520軒にまで落ち込んだ。

平松さんが生まれたときすでに公衆浴場業は衰退の過程にあったし、それは世間の共通認識でもあった。

「家業が銭湯だと人に話すと、必ず『大変だねえ』と返されました。なかには『土地があるから、廃業してマンションを建てれば一生遊んで暮らせるね』なんて、悪気なく言う人もいて。そういった世間の空気への反発もあって、10代の頃は自分の境遇に対して複雑な感情がうずまいていた気がします」。

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30歳までのモラトリアム

家業を継ぎたい。腹の底からそう言える心境ではなかったが、祖父の代からつづく銭湯の灯を自分の代で絶やすつもりもない。大学生になっていた平松さんは、「いつかは小杉湯を継ぐ」ことを前提に、ひとまず就職活動をはじめる。

「とにかく30歳くらいまでは、外の世界に出て少しでも多くのことにチャレンジしようと決めました。そこで目をつけたのが不動産業界です。僕は文系で特別なスキルがないから営業しかできない。

住宅のように大きな商品を扱う仕事なら、成果を出すむずかしさ、成果を出したときの喜びが、ほかの分野より大きいのではと考えたんです。あと、いつか小杉湯を継いだときに、不動産の知識があれば役に立つだろう、とも」。

そう考えて入社した住宅メーカー「スウェーデンハウス」で、平松さんは八面六臂の活躍をみせる。入社4年目、最年少で全国トップの営業成績をあげて社長賞を受賞すると、以後4年間トップセールスの座を維持。

要するにめちゃくちゃデキるビジネスパーソンだったのだが、本人はいたって謙虚。「30歳までとタイムリミットを決めたのが功を奏したのだと思います」と当時を冷静に振り返る。

そして、当初の予定通りに30歳で退職。そのまま銭湯を継ぐ選択肢もあったが、決断しきれなかった。

「スウェーデンハウスでいろいろな経験をさせてもらって、満足のいく成果も出せました。それでもなぜ家業に入る決心がつかなかったか。正直にいうと、自分の世界が狭くなることが怖かったんです。

地域密着型の銭湯の経営者になれば、これまでのように外へ出かけることはなくなるだろうし、人との出会いもかぎられてしまう。仲間と一緒にチャレンジする、みたいなこともなく、孤独な戦いを強いられるんだろうな、と。もちろんいつかは腹をくくるつもりでしたが、30歳の僕にはまだその覚悟ができませんでした」。

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愛娘のひと言でベンチャー企業から家業へ

残された時間のなかで次にチャレンジできるものを探していたある日、経営者向けの研修で魅力的な人物に出会った。その人は人事コンサルタントで、現在所属している会社をもうすぐ辞め、起業するつもりだという。

ぜひ一緒に働きたいと感じ、創業メンバーのひとりとして参加することに。人事・採用コンサルをおこなうベンチャー「ウィルフォワード」を3人で立ち上げた。

「人事の分野は初めて、もちろん起業も初めてなので大変でしたが、すごくやりがいがありました。仲間と一丸になって事業を拡大させていくのは楽しかったし、なにより会社をゼロから立ち上げる──ゼロイチを経験できたのが大きかったですね」。

ウィルフォワード勤務時代、仲間と。 写真提供:平松佑介

ベンチャーが瞬発力を要する100メートル走であるならば、家業はタスキを次のランナーへつないでいく駅伝。身をもって前者を経験したことで、後者が持つ強みや価値に改めて気付かされた。

「小杉湯は87年前から高円寺にあって、地元の人なら誰もが名前を知っている存在でありつづけています。よく考えたら、それってものすごい強みだよなあ、と。そう思えるようになって、ベンチャーの仲間にも家業の話をすることが増えたんです。

まだ漠然としていましたが、僕は将来、高円寺の文化発信の拠点のような場所をつくりたかった。それを人に伝えるとき、小杉湯を通じてやりたいんだよね、という言い方をするようになって。その頃から『継がなきゃいけない』が、少しずつ『継ぎたい』に変わっていったように思います」。

小杉湯に利用されるのではなく、自分が小杉湯を利用する。運命にコントロールされるのではなく、運命をコントロールする。「継がなきゃいけない」が「継ぎたい」に変わって、気が楽になったという平松さん。ベンチャーを立ち上げて5年が経ったころには、家業を継ぐことに対する迷いは完全に消えていた。

「最終的に背中を教えてくれたのは娘の言葉でした。当時はかなり忙しく働いていましたから、娘と過ごす時間を十分にとれなかった。すると、3歳の長女が『お父さん、明日は仕事お休み?』と聞いてきたり、朝の出勤前に『また明日ね』なんて切ないことを言うようになったんです。

どこの家庭にもあるやりとりなのかもしれませんが、僕は銭湯で生まれ育って、学校から帰ると家に両親がいる環境が当たり前でした。両親が僕にしてくれたように、僕も『おかえり』と言って娘を迎えてあげたい。そんな父親でありたいな、と」。

長女の言葉で覚悟を決め、すぐにベンチャーの仲間に伝えた。小杉湯に入ったのは、それから約1年後の2016年10月10日。

長女の4歳の誕生日であり、銭湯の日でもあるこの日、平松さんのいう「孤独な戦い」がはじまった。

後編へつづく……

プロフィール
平松佑介(ひらまつゆうすけ)●1980年、東京生まれ。小杉湯3代目。住宅メーカーで勤務後、ベンチャー企業の創業を経て、2016年から家業の小杉湯で働き始める。2017年に株式会社小杉湯を設立、2019年に代表取締役に就任。1日に1000名を超えるお客さまが訪れる銭湯へと成長させ、空き家アパートを活用した「銭湯ぐらし」、オンラインサロン「銭湯再興プロジェクト」など銭湯を基点にしたコミュニティを構築。また企業や地方と様々なコラボレーションを生み出している。2020年3月に小杉湯となりに新たな複合施設をオープン。

「37.5歳の人生スナップ」
もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。上に戻る

 

岸良ゆか=取材・文 赤澤昂宥=写真

# 37.5歳の人生スナップ# 小杉湯# 銭湯
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