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2020.10.12

ライフ

「全部員に走りきったと感じてほしい」創価大駅伝部・榎木監督が語る自分の役割


「37.5歳の人生スナップ」とは……
>前編はコチラ
長距離走との出会いから、箱根駅伝で4年連続区間賞を獲った学生時代を経て実業団チームへ入部したお話を伺った前編。
後編は、トップランナーの集団の中で挫折し、再起した榎木さんが、転機を迎えるお話から。
 

経験することで、カスタマイズできる

日本のトップランナーが集まる旭化成での7年の競技生活。後半は苦しい時期が続いたという。
「実業団には毎年新しい選手が入ってきます。そうすると、いわゆる『戦力外通告』を受けて辞める選手もいるわけです。やりたいと思っていても、認められないと続けられないんです。
私は『自分からは辞めると言わない』と決めていたんですが、自ら身を引こうかなとも考えたりしましたし、競技が終わったら普通に仕事をしなくちゃならないな、という不安もありましたね」。
そして29歳のときに、退部。
競技から離れる覚悟を決めたとき、高校のそして旭化成の大先輩である谷口浩美さんに声をかけられ、谷口さんが監督をしていた実業団で女子チームのコーチをしながら、ひとりで競技を続けることになった。
「それは、自分の競技観が変わった3年間でした。チームに所属していたときは、監督の指示どおりにやってきたんですが、ここでは自分専属の監督はいませんから、自分で考えて自分のためのやり方を見つけるわけです。そうしたら走りが戻ってきた。
自分でも『高いレベルの練習がないのになぜ走れるのか?』と不思議でしたが、実業団でハイレベルの練習をやってきたことで、今度はそれをときには引き算しながら、自分に合わせてできるようになったんだと思います」。



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