37.5歳の人生スナップ Vol.132
2020.10.12
LIFE STYLE

「全部員に走りきったと感じてほしい」創価大駅伝部・榎木監督が語る自分の役割

「37.5歳の人生スナップ」とは……

>前編はコチラ

長距離走との出会いから、箱根駅伝で4年連続区間賞を獲った学生時代を経て実業団チームへ入部したお話を伺った前編。

後編は、トップランナーの集団の中で挫折し、再起した榎木さんが、転機を迎えるお話から。

 

経験することで、カスタマイズできる

日本のトップランナーが集まる旭化成での7年の競技生活。後半は苦しい時期が続いたという。

「実業団には毎年新しい選手が入ってきます。そうすると、いわゆる『戦力外通告』を受けて辞める選手もいるわけです。やりたいと思っていても、認められないと続けられないんです。

私は『自分からは辞めると言わない』と決めていたんですが、自ら身を引こうかなとも考えたりしましたし、競技が終わったら普通に仕事をしなくちゃならないな、という不安もありましたね」。

そして29歳のときに、退部。

競技から離れる覚悟を決めたとき、高校のそして旭化成の大先輩である谷口浩美さんに声をかけられ、谷口さんが監督をしていた実業団で女子チームのコーチをしながら、ひとりで競技を続けることになった。

「それは、自分の競技観が変わった3年間でした。チームに所属していたときは、監督の指示どおりにやってきたんですが、ここでは自分専属の監督はいませんから、自分で考えて自分のためのやり方を見つけるわけです。そうしたら走りが戻ってきた。

自分でも『高いレベルの練習がないのになぜ走れるのか?』と不思議でしたが、実業団でハイレベルの練習をやってきたことで、今度はそれをときには引き算しながら、自分に合わせてできるようになったんだと思います」。

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競技者から指導者。そして再び、大学駅伝へ

そのあと競技を引退し、35歳で実業団の監督に就任したわけだが、60代、70代のベテラン監督がいる中で、35歳での就任は早いし、若い。

「僕自身も初めはそう感じました。でも、以前から指導者になりたいと思っていましたし、チャンスが意外と早くやってきただけだと思って、お引き受けしたんです。

競技をやめて、いろんなことに挑戦したいと思っていましたから、迷いや躊躇はありませんでした」。

37.5歳の頃は、何をしていましたか? と訊くと、ちょうど実業団の監督になって2、3年目のころだという。

「チームにも勢いがあった時期でしたし、私自身つっぱしっていましたね。守りに入らず、がむしゃらに前に進む時期だったかなと思っています」。

それから約10年。大学駅伝部の監督として2年目の今も、学生とともに前進し続けている。

「実は最初、大学駅伝部の監督にというお話をいただいたときはお断りしたんです。実業団での指導経験が学生に当てはめられるか不安でしたし、学生と向き合うためにはもっといろいろな経験を積んだほうが良いのではないかと思ったからです。

でも、旭化成時代の先輩の川嶋(伸次)さんから『最初から完璧を求めてはだめだ。学生と一緒に学んで、成長していけばいい』と言われて納得し、お引き受けしました」。

今、榎木さんが学生への指導で心がけていることは、コミュニケーションだ。

「自分の子供くらいの歳の差なので」という学生のことをしっかり理解するために、数カ月ごとに全員と個人面談をしているという。

どういう目標を掲げているか、そのためにどういったことに取り組んでいるか。その進捗を聞きながら、時に修正する。

「やっぱりみんな、箱根駅伝を走りたいという目標を持って入部してきているんですね。その箱根という目標をベースに、ほかの目標も見つけてほしいと思っています。

自身の記録なのか、別の大会なのか……。箱根は毎回10人しか走れません。走れないで卒業していく人のほうが多いんです。たとえ箱根を走れなくても、やりきった、走りきったと感じて卒業してほしい。

私自身、陸上競技への思い、勝ちたいという思いは変わりません。でも、勝つことだけがすべてじゃない。それぞれが取り組んだこと、過ごした時間は、必ず大人になってから役に立ちます。

これは、私自身が競技生活で成功も挫折も経験してきたからこそ、伝えられることなんじゃないかなと思っています」。

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コロナ禍でも、力をつけることはできる

箱根駅伝でのシード権獲得のあと、榎木さんと学生たちがさあ来年に向けて始動だ! というちょうどその頃、新型コロナウイルス感染拡大が広がり、大学も活動自粛になった。

春にシーズンが始まっても次々に大会は中止となり、活動が制限される中、チームでは「大会がないなら土台づくりのチャンスだ!」と各自で練習を積み重ね、リモートで監督と練習内容や思いを共有してきたという。

「そうして6月に練習が再開され、学内で記録会を行ったときに、みんな自己ベストを更新したんです。『試合がなくても力はついている。しっかり戦えるから、いつ試合が再開されてもいいようにがんばろう!』と話しました。

みんなもモチベーションが上がったし、自信になったと思います。8月、9月にはそれまでの1.5倍の強度の練習をしましたが、故障も少なく、すごくいい状態です」。

1月の箱根駅伝直後に監督が掲げた目標は3位。その目標は今も変わらない。

最後に、自身の監督2年目について、少し早めに振り返ってもらった。

「そうですね、満足度は90%です。コロナ禍もあった中で、目指したことをやれていますから。就任当初は本当に不安でしたが、今は本当に楽しい充実した日々が送れています。それは、選手にも伝わっているんじゃないかな、と思っています」。

あとは、試合で結果を出すのみ、と榎木さん。ちょうどインタビューの数日前に、箱根駅伝の無観客開催が決まった。

沿道に応援がなくても、応援する人はたくさんいる。そんな見えない姿、聞こえない声援をどうか感じて、走る選手も走れない選手も、精一杯走り抜いてもらいたい。

プロフィール
榎木和貴(えのきかずたか)●1974年宮崎県生まれ。宮崎県立小林高校卒業後、中央大学へ入学。箱根駅伝にて4年連続区間賞を獲得する。3年時には箱根駅伝総合優勝も経験。1997年、旭化成に入社し陸上部に所属。2000年2月、別府大分毎日マラソン優勝。2004年、沖電気女子陸上部ランニングコーチに就任。2007年にはトヨタ紡織陸上競技部コーチに就任。2011年、トヨタ紡織陸上競技部監督に就任。2019年2月に創価大学駅伝部監督に就任し、翌2020年の第96回箱根駅伝にてチームを初のシード権獲得に導く。
「37.5歳の人生スナップ」
もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。上に戻る

川瀬佐千子=取材・文 中山文子=写真

# 37.5歳の人生スナップ# 榎木監督# 箱根駅伝
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