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競技者から指導者。そして再び、大学駅伝へ

そのあと競技を引退し、35歳で実業団の監督に就任したわけだが、60代、70代のベテラン監督がいる中で、35歳での就任は早いし、若い。
「僕自身も初めはそう感じました。でも、以前から指導者になりたいと思っていましたし、チャンスが意外と早くやってきただけだと思って、お引き受けしたんです。
競技をやめて、いろんなことに挑戦したいと思っていましたから、迷いや躊躇はありませんでした」。
37.5歳の頃は、何をしていましたか? と訊くと、ちょうど実業団の監督になって2、3年目のころだという。
「チームにも勢いがあった時期でしたし、私自身つっぱしっていましたね。守りに入らず、がむしゃらに前に進む時期だったかなと思っています」。
それから約10年。大学駅伝部の監督として2年目の今も、学生とともに前進し続けている。
「実は最初、大学駅伝部の監督にというお話をいただいたときはお断りしたんです。実業団での指導経験が学生に当てはめられるか不安でしたし、学生と向き合うためにはもっといろいろな経験を積んだほうが良いのではないかと思ったからです。
でも、旭化成時代の先輩の川嶋(伸次)さんから『最初から完璧を求めてはだめだ。学生と一緒に学んで、成長していけばいい』と言われて納得し、お引き受けしました」。
今、榎木さんが学生への指導で心がけていることは、コミュニケーションだ。
「自分の子供くらいの歳の差なので」という学生のことをしっかり理解するために、数カ月ごとに全員と個人面談をしているという。
どういう目標を掲げているか、そのためにどういったことに取り組んでいるか。その進捗を聞きながら、時に修正する。

「やっぱりみんな、箱根駅伝を走りたいという目標を持って入部してきているんですね。その箱根という目標をベースに、ほかの目標も見つけてほしいと思っています。
自身の記録なのか、別の大会なのか……。箱根は毎回10人しか走れません。走れないで卒業していく人のほうが多いんです。たとえ箱根を走れなくても、やりきった、走りきったと感じて卒業してほしい。
私自身、陸上競技への思い、勝ちたいという思いは変わりません。でも、勝つことだけがすべてじゃない。それぞれが取り組んだこと、過ごした時間は、必ず大人になってから役に立ちます。
これは、私自身が競技生活で成功も挫折も経験してきたからこそ、伝えられることなんじゃないかなと思っています」。



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