37.5歳の人生スナップ Vol.131
2020.10.11
LIFE STYLE

箱根駅伝4年連続区間賞の記録を持つ駅伝監督が、走ることで得た喜びと苦しみ

「37.5歳の人生スナップ」とは……

正月の恒例スポーツイベント、箱根駅伝。当然、優勝はどの大学か、ということが大きなニュースとなるが、もうひとつ注目されるのが熾烈なシード権争いだ。

10位以内に入賞すれば自動的に来年の出場権が得られる。シード権を逃したチームは、予選会で勝たねば箱根を走ることができないから、シード権を獲得できるかどうかは、チームの今後を大きく左右する。

2020年の96回大会では、最終10区でシード権外の11位でタスキを受け取った創価大学の嶋津選手が激走を見せて2人抜き、大学初のシード権を獲得した。

「前半は抑えていこうという作戦でしたが、彼は初めから攻めていきました。後半苦しむのではないかと『じっくりいこう』と声をかけたのですが、そのままの勢いでゴールまで走り切りましたね」。

試合後、そんなふうに話したのは、前年2月に就任したばかりの創価大学駅伝部監督の榎木和貴さんだ。

就任1年目でチームを躍進させたこの監督は、かつて中央大学の選手として、1994年(70回大会)から4年連続で箱根駅伝を走り、4年連続で区間賞を獲ったという記録の持ち主。4年連続で区間賞を獲った選手は、96回の箱根駅伝の歴史の中でも8人しかいない。

「20年以上前の記録です。近年、高速化している箱根駅伝の今の選手たちの記録とは比較にならないですし、指導でも、当時自分がやっていたことが今の選手に当てはまるとは限りません。ただ、大学時代の経験はその後の自分にとって、自信にはなっています」。

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陸上は、白黒はっきり勝負が決まるのが面白い

今も毎朝10km走っているという榎木さん。「走ること」そして「競技」への情熱の原点はなんだったのだろうか?

もともと子供の頃にやっていたのは剣道。そのトレーニングとして取り組んでいたのがランニングだった。初めは、一緒に剣道をやっていた兄と競って走るのが楽しかったという。

そのうちに、小学校の長距離走で勝てるようになってきた。そうすると勝てる喜びだけでなく、榎木少年は陸上競技の面白さも感じるようになっていった。

「剣道は審判の判定で勝負が決まりますが、走って勝つのは最初にゴールした人で、誰がみてもその勝負は明らか。それが面白いと思ったんですね。それに剣道と違って、シューズは必要ですが、身体ひとつでやれるのもいいな、と思った。それで、中学に上がるタイミングで剣道をやめて、陸上部に入りました」。

陸上部には、ほかの小学校から足の速い子が集まってきていた。みんな小学校時代に同じ大会で勝負を競っていたメンバーだった。

「それで、みんなで駅伝をやろうということになったんです。中学2年のときに県大会で優勝して九州大会に出場し、九州大会でも優勝しました」。

走る楽しさ、そして走って勝つ面白さに目覚めた少年が、駅伝という競技にドボンとハマった原体験がそこにあった。

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走れるのは当たり前、狙うのは区間賞

そして目標となったのが箱根駅伝だった。高校時代の恩師が中央大学出身だったことに影響を受けて中央大学に進学し、駅伝部に入る。

1年生のときの大会で復路の8区に抜擢されたときは、プレッシャーよりも「憧れの舞台を走れるチャンスをもらった喜びのほうがうれしくて、純粋な気持ちで走った」という。その結果、区間賞。そして2年生でも同区間で区間賞を獲る。

「そうなってくると、箱根を走るのは当たり前で、区間賞を狙って走ろうと思いました。やっぱり勝ちたいという強い思いが自分の中にあって……。

それを言葉にしたり表に出したりはしませんが、負けず嫌いなんです。子供の頃から競技をやってきて、そういう性格が培われたのかもしれません(笑)。それに、やっぱり自分が区間賞を獲るのがチームへの最大の貢献だと思いましたから」。

その思いのとおり、3年生のときにはチームは総合優勝を手にした。4年連続区間賞を獲って卒業した榎木さんは、そのまま実業団に進み、マラソンに転向した。陸上のトップクラスが集まる旭化成だ。

「チームにはオリンピック経験者もいましたし、そういう中で自分も日本代表になりたいと自然に思いましたね。2000年のシドニーオリンピック、2004年のアテネオリンピックが目標でした」。

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勝ちたい気持ちと不安。苦しんだ4年間

しかし、入部2年目で挫折を味わう。

「学生の中ではトップレベルで戦えてきたので、実業団でもいけると思っていたんです。でも、通用しなかった。がんばっても、がんばっても、上がいる。記録も伸びずケガもして、焦る気持ちが先行してしまい、毎日の練習をこなすことで精一杯になってしまったんです」。

そんな中で榎木さんが取り戻そうとしたことは、目標を持つこと。出ると決めた試合にどうやったら勝てるか考えることに集中した。

そして、練習がうまくいかない不安を、家族や友人などの身近の人の応援を支えに乗り越えること。

「やっぱり、勝ちたいと思う気持ちと不安とは、常に背中合わせです。だから、家族や友人など、応援してくれる身近な人がいるということは、ものすごく大きな支えになるんです。あとは、やっぱり学生時代の経験があったことも大きかったかもしれません。これで終わりたくない、がんばりたい、勝ちたいと思えましたから」。

そして、2000年別府大分毎日マラソンで見事優勝を果たす。入部3年目、25歳のときだった。

しかし、その後の旭化成での4年間は苦しんだという。目指していたシドニーオリンピック日本代表には、チームメンバーの佐藤信之さん、川嶋伸次さんが選ばれた。

20代後半になって体力や気力で踏ん張りがきかなくなっていき、年々周囲の競技レベルがアップする中で、自分の実力では戦えないと実感するようになっていく。

 

後編に続く

プロフィール
榎木和貴(えのきかずたか)●1974年宮崎県生まれ。宮崎県立小林高校卒業後、中央大学へ入学。箱根駅伝にて4年連続区間賞を獲得する。3年時には箱根駅伝総合優勝も経験。1997年、旭化成に入社し陸上部に所属。2000年2月、別府大分毎日マラソン優勝。2004年、沖電気女子陸上部ランニングコーチに就任。2007年にはトヨタ紡織陸上競技部コーチに就任。2011年、トヨタ紡織陸上競技部監督に就任。2019年2月に創価大学駅伝部監督に就任し、翌2020年の第96回箱根駅伝にてチームを初のシード権獲得に導く。

「37.5歳の人生スナップ」
もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。上に戻る

川瀬佐千子=取材・文 中山文子=写真

# 37.5歳の人生スナップ# 榎木監督# 箱根駅伝
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