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2020.07.29

ライフ

若かりしJOMMYが西麻布「Yellow」で知った、NY直送ハウス・ミュージック

’90年代より東京ストリート・カルチャーの中心的存在として、ダンサー、DJ、ファッションの分野で活躍するJOMMY。
以前紹介したクラブ「JUICE」に続き、’90年代の西麻布でJOMMYが影響を受けたクラブがもうひとつある。日本のナイトクラブ史に名を残す伝説のクラブ「Space Lab Yellow(以下『Yellow』)」だ。
東京のアンダーグラウンド・クラブシーンが新しい展開を迎えようとしていた1991年にオープン。ニューヨークから直輸入のハウス・ミュージックがリアルタイムで聴けるクラブでもあった。
「Space Lab Yellow」に通っていた頃の若かりしJOMMY。
「Space Lab Yellow」に通っていた頃の若かりしJOMMY。
「夜の遊びを教えてくれた先輩のアツシくんに連れられてオープニングにも行き、新しい音楽=ハウス・ミュージックに出会ったのが『Yellow』でした。
当時は六本木や新宿のクラブへ行くと、ヒップホップがかかっていてダンサーもたくさんいたけど、西麻布のクラブは別世界。六本木のようにボディコンやスーツ姿の人なんていなくて、デニムにスニーカーを履いた人たちがフロアで踊っていて……そんな初めて見る光景を今でも鮮明に覚えています」。
ヒップホップがストリート発の音楽だとすると、ハウスはそれとは異なる側面を持った音楽であることを感じたというJOMMY。
「人種や性別を超えて、ハウスはもっと開けた感じがある。ドラァグクイーン、LGBT、ファッション業界人、美容師……、場に集まる人が作る雰囲気もほかのジャンルのクラブとは全然違う。目にするもの、聴くものすべてがカルチャーショック。
数多くのアーティストに影響を与えたハウス界最強ユニット、マスターズ・アット・ワークの存在を知ったのも『Yellow』。そのときに聴いた曲は今でもDJのときにプレイしています」。
ツイスト頭のクラブキッズが西麻布で出会った衝撃は、DJとしてのJOMMYのルーツになっている。


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