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2019.12.26

ライフ

「迷ったときは面白いと思った道を!」 國學院大駅伝監督、前田康弘の陸上人生

>連載「37.5歳の人生スナップ」を読む
【前編】を読む
前田康弘
「箱根駅伝の特別なところは2日かけて走るという点。1998年の駒大は、優勝争いもかかっていたし、正直前日は寝られませんでした。でも初出場なりには落ち着いて走れたのかな」。
大学2年時の自身初の箱根駅伝出場をこう振り返る國學院大学駅伝監督の前田康弘監督(41歳)。続く大学3年時には優勝候補筆頭だった駒澤大学。三大駅伝である全日本、出雲を優勝し、三冠のかかった箱根駅伝。前田さんは7区トップでタスキを渡したものの、最後の最後で後続のランナーが逆転され、涙の大手町となった。
「非常に悔しい思いをしましたが、1位でタスキを渡されてそのままトップを走り続けたのは、今の自分の財産になっています」。
大学4年次にはキャプテンとして出場。箱根駅伝優勝とチームの柱としての重圧がダブルのしかかった、厳しい一年だったという。
「キャプテンといっても、自分がしっかりしてないと誰もついてきてくれない。当時は監督も厳しくてみんなの前で『キャプテンやめろ』と言われたこともあった。親に泣きながら電話した夜もありました。でもそのときの経験が、今指導者の立場となってすごく活きているなと思います」。
そして見事、目標としていた箱根駅伝優勝を達成。雑草ランナーと自ら称する前田さんの陸上競技人生は、ひとつのハイライトを迎えていた。しかし夢が実現したあと、前田さんの前に大きな壁が立ちはだかる。


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