2019.12.07
LIFE STYLE

“酒造界の大谷翔平”が球速160kmの日本酒を完成させるまで

PUNK日本酒●「俺たちが飲みたい日本酒は違うんだよね」と名乗りを上げた若手醸造家たち。不要なルールは無視して、とにかく美味いこと最優先。その結果、日本酒の世界はここ10年で格段に進化した。そんな造り手たちが放つPUNKな日本酒をレコメンド。

日本酒党じゃなくても、「ホリエモンのロケットの燃料に日本酒が使われた」というニュースを目にした記憶はないだろうか? その日本酒は、和歌山県の平和酒造が生み出した「紀土」(きっど)。あらゆるコンペティションで受賞歴を誇る超実力派だが、ここに至るまで紆余曲折があったという。

「紀土」を造る平和酒造の四代目当主、山本典正さん。

多くの人を虜にしながら何かと話題にも事欠かない紀土。そこには類まれなるチャレンジ精神を持つ平和酒造の四代目当主、山本典正さん(41歳)の存在があった。いまや「酒造界の大谷翔平」と言っても過言ではない当主を訪ね、紀土の出生の秘密に迫った。

 

ファーストクラスでも味わえるスパークリング日本酒

──飛ぶ鳥を落とす勢いの「紀土」ですが、全ラインナップのなかで今いちばんのオススメはどれですか?

今年、ANAのファーストクラスに搭載された「紀土スパークリング」ですね。これは瓶内二次発酵で造った発泡のお酒で、フルーティでありながらドライな味わいです。米の甘みは感じますが、甘すぎることはないので、食事にも合うようになっています。

ひと口飲んでいただければ、きっと「日本酒ってこんな側面もあるんだな」と思っていただけるんじゃないでしょうか。

──泡の日本酒とは意外。てっきり純米大吟醸とかかと。

「紀土スパークリング」はまだデビューして3年くらいなんですけど、やはり世界のお酒市場では“泡もの”ってウケがいいですよね。僕も好きですし。これまで日本酒業界にはスパークリングっていう発想はなかったのですが、せっかくなのでトライしてみようと思って造ったんです。

──日本酒業界からの反発はなかったんですか?

もちろんありましたよ。でも、批判されることよりも、自分たちが何もしないことで日本酒業界が変わらないことの方が困るんです。

実際に、うちは特殊な動きをしています。紀土が堀江貴文さんのロケットの燃料で使われたり、うちで造っている梅酒「鶴梅」が中田英寿さんプロデュースでチョコになったり。従来の日本酒蔵の枠に当てはまらない、日本酒業界でいちばんチャレンジングで、エネルギッシュな酒蔵でありたいと思っています。

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ベンチャーブームで挫折。「都落ち」に悩んだ時代

平和酒造が主催協力する日本酒マーケット「AOYAMA SAKE FLEA」は毎回大人気。

──山本さんのそのチャレンジ精神はどこから生まれるんですか?

幼少期は父母から「実家を継ぎなさい」と言われていたし、小さい頃からビジネスはやりたいと思っていました。でも、大学のときにベンチャーブームがきて、それこそ堀江さんが台頭していく局面を見ていたんです。

そこで、実家を継ぐのはカッコ悪いんじゃないかと思うようになって。ゼロから会社を興して、ヒルズ族になって、シャンパンを浴びるように飲む。それがビジネスパーソンだと勘違いしていました(笑)。

──当時のITベンチャーブームはすごかったですもんね。

僕もベンチャー企業に就職したんですけど、やはり20代の僕には0から1を生み出す力はないと痛感しました。それで、0から1は難しいけど、実家の酒蔵へ戻って1を10することはできるんじゃないかって考えたんです。ただ、都落ち感はありましたし、戻ってすぐの頃は「俺は酒蔵のオヤジとして、和歌山に埋もれて死んでいくんだろうか……」と落ち込んでいましたね(笑)。

──落ち込まなくても……(笑)。

でも、今はSNSもありますし、地方だからといって都落ち感もない。むしろ、東京で飲み会なんかがあると、「僕は和歌山で酒蔵をやってまして、今日は日本酒を持ってきました!」って言うだけで、とても興味を持ってもらえる。地方であることが武器になる時代が来たということが、とても嬉しいですね。

 

父は日本酒に氷をボコボコ入れて飲んでいた

家業を継いだ山本さんが最初に生み出したヒット作は、梅酒の「鶴梅」だった。

──実家に戻ってからはどんな動きをされていたんですか?

和歌山県の酒蔵ということで、最初のヒット作は梅酒の「鶴梅」でした。和歌山は全国の梅の収穫量の3割以上を占める梅の名産地です。梅酒自体はもちろん高品質で、ラベルもふわふわの可愛らしいものを造りました。それがすごく好評で、実家に戻った途端に思わぬヒット作が完成した感じだったんです。

──すごいですね。

ラッキーパンチでした。卸先は、僕らのこだわりを理解してくれて、お客さんにもそのこだわりを説明してくれる専門店に絞る「特約店制」にしたんですね。すると、ある日、特約店が「山本くん、日本酒も持ってきなよ。梅酒がこんなに美味しいから『ここの日本酒はどうなんだ?』ってお客さんから訊ねられるんだよ」と言ってくれたんです。

とてもありがたかったんですけど、僕、どうしても期待に応えられなかったんですよ。

──なぜ?

美味しい日本酒が造れなかったんです。ハッキリと覚えているんですけど、大学時代、正月に飲んだうちの日本酒が全然美味しくなかったんです。その当時はお酒自体が得意じゃなかったので、『自分の体にお酒が合わないんだろう』と思っていました。でも、社会人になって東京で日本酒を飲んでみたら、結構美味しかったんですよ。

──ほうほう。

舌が成長したのかな、と思ったんですが、実家に戻って再び日本酒を飲んでみたら、やっぱりまずかった(笑)。普通に 、うちで造っている日本酒がまずかったんです。ですから、僕も初期の頃は美味しいお酒の造り方がわからなかったんです。

父は値段を下げるしか勝負の仕方がわからず、どんどん良い酒造り方から離れていきました。父も日本酒が美味しくないのはわかっているので、氷をボコボコ入れて飲むんですよ(笑)。もう日本酒ですらないし、『じゃあ日本酒じゃなくてよくね!?』みたいな(笑)。

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うちの日本酒は、球速に例えるなら138kmだった

「AOYAMA SAKE FLEA」で、お客さんに紀土について説明する典正さん。

──「紀土」にそんな冬の時代があったとは……。

お客さんは素直ですよ。当時、お客さんがうちの蔵に見学にきて日本酒を試飲すると、「うーん、まぁまぁ日本酒ってこんな感じ。美味しいですね」って一応は言ってくれるんですけど、梅酒を試飲した途端に、「わぁー、美味しい!!」って言うんです(笑)。声、全然違うやん!って(笑)。

──素直な反応ですね(笑)。

特に初期の3年間はひどかった。良い米を買ってきて、良いとされている製法を試して、蔵人も寝ずの番をしてくれて……それでようやく完成した酒がまずいんですよ。毎年造ってはダメで。どんなにコストをかけてもまずいものは売れないから、パック酒にして売ってしまう。

毎年そんなことをするので、3年目には蔵人に「こんなことして、どうするんですか!?」って迫られてしまった。僕も「じゃあ、来年“そこそこ”だったら出すよ」と言っちゃって、もう1年頑張って造ってもらうことにしたんです。

──おおっ、それでついに!?

それで出来た日本酒が、マジで“そこそこ”だったんです(笑)。出していいのか悩んだのですが、結果的にそれが初年度の「紀土」になったわけですね。

僕の青写真では、「あの『鶴梅』の酒蔵が満を持してこんなに素晴らしい日本酒を出してきたぞ!」って大騒ぎにしたかったんですけどね。ちょうどメジャーリーグの大谷翔平選手のような、打ってもすごいし投げてもすごいぞ、と。梅酒がホームランで日本酒は球速160kmかよ、みたいな。でも実際には138kmぐらいでしたね(笑)。

 

球速160kmの日本酒はどうやって完成したのか

──では、販売するのも苦渋の決断だったと。

まず、特約店さんたちに謝りましたもん(笑)。「すみません。この日本酒は『紀土』っていう名前でして、『紀州の風土』という意味なんですけど、“キッド”なので『子供』っていう意味もあるんです。最初のお酒はこんな感じですが、これから育っていきたいと思っていますので、この歩みをみてください」という話をして、1軒1軒謝ってまわりました。

──思い通りにはいかないものですね。

日本酒イベントで、ほかの良い酒蔵さんと一緒にブースを出店したこともあったのですが、ブルペンに立って157kmのピッチャーの隣で138kmの球を投げてるような感じでした。もう露骨に差が出ていましたね。俺のストレートの遅さよ(笑)。

──ミットから鳴る音が違いますもんね(笑)。

帰りの山手線で、杜氏と「来年は絶対にあっと驚かせる酒、造ろうな。俺たち惨めやな」と話して帰りました。で、その翌年に造ったお酒が142km。やっぱり微妙〜!(笑)。ちょっと球速が上がってるけど、これだけでは打ちとれへんぞ、っていう速さです。

──そこからどう変わっていったんですか?

6、7年すると、スタッフたちが安定してきたんですね。初期は僕自身の経営者としての力が弱かったんですよ。良い日本酒を造りたいという志はあるけど、メンバーから信頼されてなかったんです。社員が辞めていったり、日本酒を造るどころじゃない状況でした。

ただ、僕も少しずつ成長していくなかで社員が定着してくれて、「良いお酒を造りたいよね。自分たちの未来はここにしかないんだ」ということが共有できてきた。徐々に同じ目線で酒造りできる人が増えて、中堅の社員も一緒に新卒の社員を育てるという感覚を持ってくれた。

そんなときに、ようやく紀土という酒が輝き始めた。最近では160kmくらい出てるんじゃないかと思います。

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「居酒屋のオヤジの飲み物」というイメージをぶっ壊す!

平和酒造のブースはひっきりなしに客が訪れる。

──最近というのはどのくらいの時期からですか?

ここ3、4年ですね。最近は、IWCという国際的な酒コンペティションでも賞を取れるようになりました。今年は、IWCのなかで最も高品質なお酒を造る酒蔵として「サケブルワリー・オブ・ザ・イヤー」という称号もいただきました。

──何か劇的な改革をしたんですか?

造りに関しては、ほぼ全部変わっています。138kmが142kmになり、147kmになり、ある程度になってくるとバッターを打ち取れるようになってくる。つまり、お客さんに「美味しい!」とか、「最近、紀土変わったよね」って言ってもらえるようになるんですね。

対外的な評価が上がるにつれて、中田英寿さんや堀江貴文さん、テクノアーティストのリッチー・ホウティンさんなどとコラボしたり、海外にも17カ国に輸出するようになりました。

──ガンガン突き進んでいますね。従来の日本酒業界への反発が原動力になっていたりも?

これまでの日本酒業界と同じことをしていちゃダメだという意識はありますね。ラベルも、白いテーブルクロスのお店で、隣の席がワインを飲んでいるなかで紀土のボトルを出されても恥ずかしくない、むしろ「俺たちは日本酒を飲んでるんだぜ」とドヤ顔になれるようなデザインにしたいと思って造っています。

ニューヨークとかだと、お洒落なシチュエーションで日本酒を飲むんですよ。日本酒は、知的で美味しくて、ちょっと高いけど良いお酒、という認識がニューヨーカーにはある。でも日本だと居酒屋のオヤジの飲み物。そこのギャップがすごいので、それはぶっ壊したいですね(笑)。

 

平和酒造株式会社●1928年創業。酒蔵名は「平和な時代に酒造りができる喜び」という意味が込められている。日本酒「紀土」、梅酒「鶴梅」に続き、ビールの「平和クラフト」シリーズも立ち上げ、こちらもインターナショナル・ビアカップで金賞を受賞するなど、その快進撃はとどまるところを知らない。
www.heiwashuzou.co.jp

横尾有紀=取材・文

# 平和酒造# 日本酒# 紀土
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