>連載「37.5歳の人生スナップ」を読む「お金が手に入れば幸せになれる。そう信じている人は多いけど、お金が手に入っても幸せにはなれません」。
代官山の閑静な住宅街。都内でも有数の超高級マンションの一室に、弁護士の福永活也さん(38歳)の自宅はあった。ホテルさながらのフロントを抜けてお邪魔した部屋は玄関から地続きに真っ白な床が続く。少しイヤな言い方をしてしまえばまさに「成功者」の部屋だ。にもかかわらず、お金では幸せになれない、と福永さんは言う。
今年7月『日本一稼ぐ弁護士の仕事術』(クロスメディア・パブリッシング)という本を上梓した福永さんは、タイトルのままに弁護士業1本で、国税庁統計の所得レンジで最も高い5〜10億円に入ったこともある“日本一稼ぐ弁護士”のひとり。それ以外にアプリ開発や不動産投資など実業家としての顔も持っている。しかし実際に会ってみると華やかな経歴や自宅にはまるで興味がないというふうに、福永さんは気取った部分のまったくない人柄の持ち主だった。
「今は社会的に見ると、少しはいい暮らしをしているのかもしれない。でも僕はフリーター時代の日々にも満足していたし、楽しかったんです」
フリーターから弁護士へ転身して成功を収めた今は、ライフワークの一環として、冒険家としても活動するという人並みはずれた行動力の持ち主。そんな福永さんの謎の多い半生に迫った。
レンタルビデオ店でバイトをしていたフリーター時代
名古屋工業大学を卒業後、フリーターとして過ごしていた福永さん。4年次に就職を決めた住宅リフォーム会社はすぐ辞めてしまったという。
「何も考えずに入っただけだったので辞めるのも早かった。その後は近所のレンタルビデオ店で何の目的意識もなく働いていました。そこでもパッとしなくて、暇だからって勝手に店内のビデオとか見て、怒られたり(笑)」。
熱中する趣味もなければ、将来の夢があるわけでもない。打ち込むことがないなかで福永さんの生活の中心になっていたのは草野球だったという。
「高校までずっと野球部だったので、社会人の草野球チームに入りました。平日みんなでバッティングセンター行って騒いで、休日は練習して……。毎日楽しく過ごしてましたね」。
働き方も生き方も多様化する現代ではフリーターの印象も変わりつつあるが、10年以上前はまだまだフリーター=社会から外れた人という偏見は拭えなかった。
「フリーターしながら草野球やってると、将来どうするの?って聞いてくる人、必ずいるんですよ。でも当時からあまり気にならなかった。僕は周囲が言うほどフリーターが悪いことではないと思っていて、少なくとも自分としては楽しくて満足のいく生活を送れているわけだから、それの何がいけないのか、わからなかったんです」。
昔から他人と自分を比較することはほとんどなかったという福永さん。草野球とレンタルビデオ店を往復する日々という幸福な毎日を変える必要性は感じなかった。そして今もなお当時の生活を振り返ると「楽しかった」という思いがこみ上げてくることは変わらないという。
「重要なのは、そのときの自分にとって一番大切なことは何かを見定めること。当時の僕にとって、それは草野球だったし、野球のために生活していたようなものだったから、フリーターという時間にも意味があったと思えるんです」。
しかし、そこから一転して弁護士を目指したのは、一体何故だったのか。そう尋ねると「勉強が楽しいことに気づいてしまったから」という意外な答えが返ってきた。
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