原点を見つめ、進化する。クライマーの信頼を得て躍進した「karrimor」の軌跡
連載「Camp Gear Note」
90年代以上のブームといわれているアウトドア。次々に新しいギアも生まれ、ファンには堪らない状況になっている。でも、そんなギアに関してどれほど知っているだろうか? 人気ブランドの個性と歴史、看板モデルの扱い方まで、徹底的に掘り下げる。
頑丈かつ背負いやすいバックパックを軸に展開し、アパレルも非常に高い人気を誇る「karrimor(カリマー)」。先日も人気ブランド、F/CE.のデザイナー山根氏とタッグを組んだコレクションをリリースして話題をさらった。
どのようにスタートし、現在のステータスに至ったのか。そして、これからは? マーケティング部の稲田里樹さんと商品部アパレルチームマネジャーの白子修平さんに聞いた。
小さなサイクルバッグ専門店からクライマーが支持する名門へ

——カリマーは小さなバッグ屋から始まったそうですが、成り立ちを教えてください。
稲田 イギリスの小さな町にあるショップから、1946年に誕生しました。もともとは自転車乗り向けのバッグを製造・販売していたのですが、丈夫だと評判になり、さまざまな登山隊からもオーダーが来るように。以降、クライミングに対応するバックパックを作るようになったようです。

白子 カリマーのロゴ入りバックパックを使用した登山家たちが次々と偉業を達成。それに伴ってブランドとして世界中に知られるようになり、飛躍的に成長しました。
“carry more”からブランドネームが誕生

——自転車乗りからクライマーへ。ターゲットは変わりましたが、モットーはどうなのでしょう?
稲田 ブランドネームは“carry more = もっと運べる”が由来。サポートする相手が誰であろうと、より多くの荷物を快適に運べるブランドでありたい! という意識は変わっていません。

——日本に上陸したのはいつからですか?
白子 ’70年前後です。当時はアウトドア旋風が巻き起こっていて、ほかにはないアルミフレーム入りの本格的なバックパックが、飛ぶように売れたと聞いています。

数々のコラボが世界中でニュースになった90年代

——90年代にはアパレルも非常に人気があったと記憶しています。
稲田 創始者であるチャールズ&メアリー・パーソン夫妻が引退した頃、タウン寄りの展開も拡大し、ストリートへ浸透したんです。最近では、ジュンヤ ワタナベとコラボしたマウンテンパーカの大ヒットを覚えている方も多いのではないでしょうか。

白子 同じイギリス発祥のポール・スミスとの協業も凄かったです。ちょうどストリートファッションが流行し、アウトドドアMIX的なコーディネイトも一般化。カリマーは少しハイプライス傾向だったのもあり、多くの若者にとって憧れブランドのひとつでしたね。僕自身も頑張って買いましたから。
日本にヘッドオフィスを移し、カリマーインターナショナルとして活動開始
——そして今年、新しいレーベルを発表したそうで。
稲田 さまざまなニーズに対応するため、レーベルの整理含め改革を。アウトドア部門とデイリー部門は「explorer(エクスプローラー)」と「life(ライフ)」に。さらに、よりシリアスなクライマー向けの「ultimate(アルティメイト)」、バックパックとのマッチングに注力しつつファッション面まで研ぎ澄ました「aspire(アスパイア)」を加えました。いずれのレーベルも移動装備をテーマにしているのが特徴です。


——今年からカリマーは日本発信になったとか?
稲田 本国の仕様だと日本人の体格にフィットしないため、2000年頃に日本独自企画がスタート。ブランド設立から時が経ち、カリマーのDNAを正しく継承したのは日本だけになっています。私たちはブランドがスタートしたときのスピリットを大切にし、もう一度“carry more”を徹底。今は電車や車でなんでも簡単に運べます。でも、人力しか頼れないシーンも絶対に存在する。疲れず、もっと快適に荷物が運べるアイテムを作り出さないといけません。新生カリマーに期待してください。