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2019.10.13

ライフ

【後編】狂気と情熱の天才画家、ゴッホのアラフォー時代

天才たちの40代●現代では“天才”とされる人たちは、どんな「オーシャンズ世代」を過ごしていたのか。時を遡り、アラフォーだった彼らの人生を切り取った。
前編の続き。
「フランスのなかの日本」を求め、南仏アルルへと移住したフィンセント・ファン・ゴッホ、34歳。世界を代表する天才画家の最期の3年間に迫る。
10月11日(金)から上野の森美術館で始まる「ゴッホ展」。ゴッホの作品約40点に加え、ゴッホに影響を与えた画家たちの作品約30点も展示される。

自らの耳たぶを切る狂気、上がり続ける画力

周りは嘲笑ったことだろう。しかしゴッホにとって、アルルは大真面目に「フランスのなかの日本」そのものだった。
美術史において一時代を築いた「印象派」。その先にある、新たな潮流を築き上げたかったゴッホは「アルルで画家の共同体をつくりたい」と提唱し、若手の画家によるコミュニティ結成を呼びかけた。
しかしレスポンスは芳しくなく、唯一呼応したのがゴッホと並ぶほど「ジャポニズム」に感銘を受けた画家、ポール・ゴーギャンだった。ゴーギャンのアルル到着を今か今かと待ちわびたゴッホが、家を華やかに彩ろうとして描いた作品が、かの有名な『ひまわり』である。
かくしてアルルでのゴーギャンとの共同生活が始まった。ふたりはともに制作に没頭し、大いに芸術について語り合った。その日々はとても刺激的で、パリとはまったく違った新しい世界があった。
しかし、やはり強烈な才能を持ったアーティスト同士、すぐに芸術に対する意見の食い違いが表面化してしまう。ふたりは価値観の相違から口論を繰り返すようになり、ようやく実現した共同生活はわずか2カ月で破綻してしまう。
ゴッホとの生活を打ち切り、アルルからパリに戻ろうとするゴーギャン。彼を食い止めるためにゴッホが起こしたアクションが、自分で自分の耳たぶを切るという、かの有名な「耳切り事件」であった。
結局ゴーギャンを繋ぎとめることはできず、ゴッホは再び孤独の闇へ堕ちた。
もう周りには誰もいない。弟のテオもゴーギャンもいない。世間は自分の絵を認めてくれない。そんな失意の底にいながら、それでもゴッホは絵を描き続けた。そして驚くことに、その画力はますます切れ味を増していったのだった。
鮮やかな色彩や構図に日本美術の影響を取り入れた『夜のカフェテラス』や『ファン・ゴッホの寝室』といった大傑作を生み出したのも、アルルで過ごしたこの時代のことだった。


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