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2019.08.20

ライフ

「固定観念を水に流したい」。うんこミュージアム・ディレクターが日々ほくそ笑む理由【前編】

阿部晶人さん

「コンセプトは、うんこの解放。製作中は『うんこをナメるな』を合言葉にアイディアを出しあいました」。

この人は何を言っているんだろう? そう思ってしまうような台詞を、阿部晶人さん(45歳)は、大真面目に語り始めた。

面白法人カヤックに所属する阿部さんは、8月9日、東京お台場にオープンした『うんこミュージアムTOKYO』の仕掛人のひとりだ。
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会場

『うんこミュージアム』は、アカツキライブエンターテインメントと面白法人カヤックが手を組んで生み出した、アミューズメント空間。

今年3月にオープンした『うんこミュージアム YOKOHAMA』で人気が爆発し、お台場での開業のほか、他の地方自治体からも声がかかっている人気イベントだ。

「キーワードは、MAXうんこカワイイ。これが『マンモスうれぴー』みたいに、普通に使われるようになることを狙っています」。

阿部さん

ミュージアム内は、巨大オブジェや写真映えするカラフルな世界観の「ウンスタジェニックエリア」に、ゲームが楽しめる「クソゲーセンター」など、とにかく、うんこまみれ。

書いていてもゲシュタルト崩壊を起こしそうだが、とにかく一般的に汚いと思われているうんこを「かわいい」と掛け合わせた、新体験スポットだ。

メインターゲットは流行や写真映えに関心の強い女子大生だという。そして、若い女性たちのハートを掴む仕掛けを施すクリエイターが、阿部さんなのだ。

40代にして、うんこに女子のツボを見出したクリエイティブ・ディレクター。一体どんな人物なのか、その裏にどんな想いを抱えつつ、プロジェクトを成功させているのか、そんな「面白い」を追及する人生を追った。

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クリエイティブ人生のスタートは電通
入社理由は「挑戦状だと思ったから」


阿部さん

大阪で生まれ育った阿部さん。小学校1年生のときに始めた剣道は、人生の転機とも関わる長い付き合いとなる。

「小、中、高校、大学と剣道は続けていました。大学ではたまたまゼミの教授が剣道界で有名な方だったのですが、それを知らずに、説々と剣道の知識を披露して恥ずかしい思いをしましたね(笑)」。

剣道とおなじく夢中になったのがインターネットの世界だ。ちょうど阿部さんが大学に入学した90年代初頭はインターネットの波が日本でもようやく広がり始めた頃だった。
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「まだ未知数だったネットの世界にどっぷりハマって、ウェブサイトばっかり作っていました。特に印象的だったのは剣道についてホームページを制作したら、世界中で閲覧されるようになったこと」。

世界初の剣道関連ホームページを作成したことで、全日本剣道連盟の情報委員にまで任命。発信することの面白さを体感した阿部さんが、新卒で入社したのが日本を代表する広告代理店・電通だった。

「当時もスマートな理念や体制の外資系企業が多くなっていた中、電通は異色でした。『鬼十則』なんて体育会系で日本的なやり方を通しながらも世界的に実績を上げている。そんなギャップが、面白いなと思った。自分への挑戦状のように感じたんです」。

入社後2年間はクリエイティブ局に所属し、コピーライティングについて学んだ。最初に書いたのは、水虫の薬のキャッチコピー。ここから阿部さんのクリエイティブ人生は始まる。

「キャッチというより技名をつけろと言われて『アイススプレー噴射!』と名付けたことをすごく覚えています。その次は痔の薬……。偶然ですが、今回のうんこミュージアムに通ずるものはありますね(笑)」。

商品のラジオCM40本を一晩で考えて提出するなど、一筋縄ではいかない職場。しかし、そこで磨かれたアイディアが現在にも活きている。

電通初のウェブプランナーに抜擢され、国内外の広告賞を受賞するなど、阿部さんの活躍は目覚ましいものだった。

「ただ、当時の電通は配属された分野を突き詰める会社。これからはウェブも映像も広告も複合的なものを作ってみたいなと思ったのが、辞めるきっかけでした」。

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