
「この会社を設立してチームを運営するにあたって、僕が決めたことはたった一つ。選手である以上、選手の評価を一切しないということだけでした」。
こう語るのは、日本バスケットボール界の現役最年長選手・折茂武彦だ。折茂は現在、「レバンガ北海道」の選手でありながら、チームの代表取締役社長を務めるという超異色のキャリアを歩んでいる。
折茂はなぜ、チームの経営者という重責を担いながら、49歳になった今もコートに立ち続けているのだろうか。
夜明け前の日本バスケットボール界で作り上げて来たもの
折茂がバスケットボール選手として歩み出したのは、中学生の頃だった。兄の影響でバスケットボールを始めた折茂が、バスケットボール部に入部した当初の身長は160cm台だった。だが、3年間で急激に成長し、卒業する頃には185cmまでになっていたという。
高いポテンシャルを見込まれ、埼玉県の強豪高に特待生として進学すると、その才能はすぐに開花。全国大会でベスト8に入る活躍を見せ、年代別の日本代表にも選出されるようになる。大学に入るとすぐにレギュラーを獲得。4年生の時にはインカレで日本一を達成した。
そして、大学卒業後は、トヨタ自動車に入社し、同年には日本代表にも選ばれて世界選手権をはじめとする国際大会も数多く経験。名実ともに日本のバスケットボール界を引っ張る存在に成長した。
だが、当時のバスケットボール界は、あくまでも実業団リーグ。今のBリーグのような華やかな世界ではなかった。まばらな観客席の中でプレーする折茂には、日本にバスケットボールのプロリーグができるなどとは、夢にも思えなかった。当然、プロバスケットボール選手という職業は、当時の日本には存在しなかった。
一方、折茂がトヨタ自動車に入社した1993年には、Jリーグが開幕。折茂は、華やかな世界でプレーするJリーグの選手たちを横目に見ながら、「同じアスリートなのに、競技が違うだけでこうも差がつくのか」と愕然とした。
「引け目は当然、感じましたよ。だって、僕らは、職業欄にプロバスケットボール選手とは書けずに、会社員って書かなければならなかったんですから」。

バスケットボールで入社したにも関わらず、プロと名乗れないことにもどかしさを感じていた折茂は、他競技のアスリートたちに引けを取らないよう、バスケットボール選手として食べていくことを決意し、会社に雇用形態の見直しを依頼。契約選手という形態をとってもらい、正社員という安定を捨ててまで、バスケットボールに専念できる環境を作った。
「当時は、なんとかしてバスケットボールをメジャーにしたいという思いがありました。でも、いち選手の力ではどうしようもできなかったので、まずは自分自身が退路を絶って、バスケに専念することからスタートさせました。そこからですかね、徐々にバスケットボールだけで契約する選手が出てきたり、プロリーグの話が出始めたのは」。
その後も折茂は、自分自身の価値を上げることがバスケットボール選手たちの価値を上げることにつながると信じ、後に続く後輩たちのために道を作ることを自分の使命とした。
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