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満を持してプロ選手へ


2006年、36歳になり、出場時間が徐々に減ってきた折茂の脳裏には、『引退』の2文字がよぎり始めていた。
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そんな時に、当時の日本代表でヘッドコーチを務めていたジェリコ氏は、直後に控えた世界選手権に向けて、「キミの力が絶対に必要だ」と折茂に熱烈なラブコールを送る。その熱意に負けた折茂は、再び日本代表でプレーすることを決意。自身2度目の世界選手権に出場し、強豪国と戦い「まだまだできる」という手応えを得た。

「日本一も経験し、世界選手権にも出場し、あと自分が経験していないことといえば、プロ選手になることでした。挑戦とかそういうことではなくて、一度プロ選手というものがどういうものかを知りたかった」。

こうして、世界選手権で再び揺るぎない自信を得た折茂は、14年間在籍したトヨタ自動車から、当時唯一のプロチームであったレラカムイ北海道に移籍した。プロバスケットボール選手・折茂武彦が誕生した瞬間だった。
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こうして、世界選手権で再び揺るぎない自信を得た折茂は、14年間在籍したトヨタ自動車から、当時唯一のプロチームであったレラカムイ北海道に移籍した。 提供=レバンガ北海道

プロとは何かを教わった場所


実は、それまでの折茂は、バスケットボール選手としては、かなりの問題児だったという。見た目のイカツさはもちろんのこと、判定に納得がいかなければ審判へ暴言をはき、野次を飛ばしてくる客席にはボールを投げ込み、試合後には挨拶もせずに帰ることも。「いま思えば、あり得ないことを随分してきました」と当時を振り返る。

だが、レラカムイ北海道に移籍した折茂は、プロバスケットボール選手として、それまで経験したことのない世界を知ることになった。

「たかだかバスケットボール選手の僕に、“北海道に来てくれてありがとう”って声をかけてくれるんですよ。しかもファンだけじゃなくて、街中ですれ違ったりするおじさんやおばさん、子どもたちまで。

それまでは、実業団チームでプレーしてきたため、地域密着という考え方もなく、地域の人に支えられていると感じたこともありませんでした。そんな中で迎えた開幕戦。それまでまばらな観客の中での試合に慣れていた僕にとって、満員に埋まったアリーナの光景は、一生忘れられないものでした。その時に、北海道の人たちのために頑張ろうって思うようになりました」。



メディアもレラカムイ北海道の試合を好意的に報じた。多くの人から注目され、熱心に応援してもらえることに、日々大きな喜びを感じながら、いつしか、プロバスケットボール選手とは何かを肌で感じるようになっていた。

こうして、プロバスケットボール選手として、そして人間として、大きく成長した折茂のキャリアは、再び上昇気流に乗り始めたかのように見えた。だが、2010年から2011年にかけて、折茂の人生が、再び大きく動き出す。

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