人生のドン底を味わってでも、北海道に残したかったもの
2010年になると、折茂が所属するレラカムイ北海道は、経営が悪化し、チーム存続の危機に陥ってしまう。見かねた日本バスケットボールリーグ(JBL)は、運営会社をリーグから除名するという決断を下した。
その後、JBLの管轄の元で、次の運営会社を模索したが、2011年3月11日に起こった東日本大震災の影響により、企業との交渉は難航。いよいよ、誰もがチーム消滅かと思ったその時に立ち上がったのが、当時チームでキャプテンを務めていた折茂だった。
「僕は最後のチームと決めて北海道に移籍してきましたし、北海道はバスケの競技人口も多く、何よりバスケットボールを愛してくれるファンがたくさんいる。そんな北海道からチームをなくすわけにはいきませんでした」。

こうして、折茂は運営会社を新たに設立し、チーム名を「レバンガ北海道」として、チームの再出発を図った。折茂自身もチームの代表にして選手という2足のわらじを履く、異色のアスリートとして新たな人生を歩み出したのだった。
それまで順調にキャリアを重ねてきた折茂にとって、この時が、人生のドン底だったという。
経営者としては素人であったため、当初は経営もうまくいかず、借金は2億4千万円まで膨れあがった。選手たちに給与を払うために、貯金をつぎ込み、車も手放した。人生で初めて眠れない日々を過ごした。そんな苦しい日々を乗り越えたからこそ、レバンガ北海道の、そして折茂の今がある。
時代に選ばれなかった男が、向き合うのは「今」
昨シーズンの折茂は、レギュラーシーズン全60試合中59試合に出場し、チームの日本人選手のトップとなる380得点を記録。そして2019年1月には、国内トップリーグ日本人選手として初の通算1万得点を達成するなど、49歳とは思えぬ活躍ぶりを見せている。
その先に大きな目標を見据えているのかと、その野心を聞いてみると、折茂は気負うことなく、こうコメントした。
「49歳ですからね。基本的に辞めどきを失っているんですよ。だから、自分にあとどれだけバスケットボール人生が残っているのか、僕にもわからないんです。アスリートに怪我はつきものですが、もし大きな怪我をしてしまったら、半年、1年とリハビリをして復帰する気力は多分残っていないでしょう。だからそこは、運に任せてやっていこうかなと思っています」。
提供=レバンガ北海道 これまで2度、世界選手権を経験し、世界との差を痛感してきた折茂は、これから控えるビックイベントをどのように感じているのだろうか。
「2020年に東京でオリンピックが開催されることは、日本のバスケットボール界にとって、本当に喜ばしいことです。一方で、僕自身はオリンピックには一度も出ていません。オリンピックというのは、アスリートにとっては一番大きな大会ですから、その場にいたかったなという思いはあります。日本代表が2020年の東京オリンピックへの出場を決めた時、僕が最初に思ったのは『あぁ、時代に選ばれなかったんだな』ということでした」。
さらにこう続ける。
「日本代表に入るのは難しいとは思いつつも、やはり現役選手である以上、選ばれるかどうかは別として、日本代表のメンバー入りを目指すということは頭の片隅には常に入れています」。
折茂は、いまの自分が12名の枠に入るのは現実的に厳しいとしながらも、決して諦めているわけではないと言い、現役プロ選手としてのプライドをのぞかせた。
少しだけこの世に生まれてくるのが早かった日本バスケットボール界の現役レジェンド、折茂武彦。時代に選ばれなかった男は、運命を受け入れながら、今もコートに立ち続ける。北の大地に住む人たちを笑顔にするために。
瀬川泰祐=取材・文・写真