元SEが飲食経験ゼロからの挑戦。UMAMI BURGER・海保達洋の惚れ込む力【前編】
「『うまいバーガー屋があるんだけど行ってみないか?』 このひと言で私のキャリアが大きく変わりました」。
そう語るのはハンバーガーショップ「UMAMI BURGER JAPAN(ウマミバーガー ジャパン)」のCEOを務める海保達洋さん(48歳)。オールバックの髪にサングラス、シャツの胸元から覗くシルバーアクセサリー……SNSで覗き見た海保さんのルックスはいかにもイケイケの社長という印象だったが、実際に会うとその物腰は柔らかかった。
待ち合わせ場所は、2017年にオープンした日本1号店・ウマミバーガー 青山店。目の前のセントグレース大聖堂では幸せそうなカップルがウエディングドレスとタキシードに身を包み、体を抱き寄せて写真を撮っているのが見える。
2009年にロサンゼルスで誕生して以降、全米に約20店舗を構えるほか、日本、メキシコ、バハマ……と急成長を遂げるウマミバーガー。海保さんはその日本支社のCEOを務める一方、アイウェアブランドやアクセサリーなどアパレルの輸入代理業も行っている。
多忙でしょうと聞くと、「日々のルーティンなんてないようなものです」と言って笑う。
ウマミバーガーの出店計画を着々と進めるときもあれば、来日した外国人のアクセサリーデザイナーと一緒に各地のイベントをこなすため飛び回るときもある。もっとも主に最近はアメリカとやりとりを重ね、日本のウマミバーガーブランドを作り上げるために試行錯誤する日々だ。

さぞ、アメリカンカルチャーとの付き合いを深め、アパレル業界で叩き上げてきたのだろう……と思いきや、元々はSE(システム・エンジニア)として、IT畑に長らく籍を置いていたという海保さん。
なぜLAのハンバーガーレストランを手掛けることになったのだろうか。海保さんの半生と衰えない挑戦の軌跡を辿ってみた。
SE時代に培った経験がチャンスをくれた
海保さんが幼い頃に熱烈に興味を惹かれたのは、パソコンだったという。世の中的にまだまだパソコンの認知度が低い時代。コンピューターを初めて見たときの衝撃は、ほとんどひと目惚れのようなものだった。
「小学5年生ごろから興味を持ち始めて、雑誌を見てはため息をついていました。当時はマイコン、マイクロコンピューターって言っていましたが。手に入らないなかで本や雑誌で知識だけは増えていって…… 中学生になってやっと買ってもらえたときは、うれしかったですね」。
「パソコンの知識を身につけることが、これからの働き方には重要だ」と、その必要性を早くから感じ取っていた学生時代。大学入学後もその興味は薄れず、就職活動はシステムエンジニア一本に狙いを定めた。1992年から93年にかけて、バブル崩壊によって日本の経済状況が一変する最中だった。
「最初から開発に行きたいという気持ちがありました。エンジニアの世界で知識を身につけて、いずれは商社にいこうと思っていたんです。その頃から海外との貿易や世界と関わる仕事に興味があった」。
夢中になってかき集めたパソコンの知識は、意外なところで役に立った。
「面接の際、人事担当の人とコンピューターの機種名やスペックですごく盛り上がったんですよ(笑)。もうとにかく知識だけは持っていたので。それが決め手だったと思います」。
運も手伝って大手メーカー系のシステムエンジニアとして採用。最初は転職も視野に入れていたが、気づけば12年。すっかりベテランと呼ばれる域にまで到達していた。34歳で転職を決めたのは一体なぜだったのだろう。
「30過ぎてシステムエンジニアにおける分岐点を迎えたんです。業界的な慣習ですが、この頃になると開発は若手に任せて、古株は営業に回されるようになる。現場を離れる35歳が区切りかなと考えていました」。
どうせ転職するのなら新しいことに挑戦したい。そう考えていた矢先に声をかけてきたのは、仕事で親交のあったアメリカ人だ。
「彼はアクセサリー会社のオーナーで、ホームページを作ってほしいと頼まれたことがきっかけでした。僕はそういうのは得意だったので……在庫システムとか商品の注文ができるようなサイトを作って信頼関係を築いていった。転職するという話をしていたら、『うちに来ないか?』と誘われたんです」。
思いがけず海外と関わる仕事のチャンスが舞い込んできたのだ。これまで培ってきた経験とは180度正反対の業界だからこそ、挑戦しがいもあると感じた。こうして海保さんは34歳でIT業界からファッション業界へ転身を図ることになる。
知識がない業態でも積極的に飛び込んでみる
とはいえ、もともとファッションに興味・関心があるタイプではなかったという。
「キャットストリートの場所も知らなかったぐらい。秋葉原の路地裏にあるハードディスクが安い店ならわかるけど……(笑)。本当に何も知識がない状態で飛び込みました。それは今のウマミバーガーと一緒ですね」。
シルバーアクセサリーに特化した輸入代理店の一員として、日本におけるブランドの知名度やイメージ向上のために動くのが海保さんの目下のミッションだった。
百貨店など卸先は徐々に増えていき、デザイナーのいる西海岸に自ら足を運ぶことも。多忙なアメリカ人オーナーに変わって海保さんは日本支店をすべて任されるような重要なポジションになっていき、アイウェアに下着と、取り扱う商品も幅広く展開していった。
そうして、西海岸と日本を行き来するなかで出合ったのが「ウマミバーガー」だ。

「うまみって日本語じゃないの? そう聞くと『英語でもウマミって言うんだ。1回食ってみろ、うまいから』と自信たっぷりに言われた。ひと口食べて感じたんです。これ日本に持っていったら面白いんじゃないかと」。
それは幼い頃にコンピューターをひと目見て感じた衝撃のように、海保さんを一瞬で夢中にさせた。とはいえ、飲食のノウハウを持つ人間は、海保さんをはじめ周囲にひとりもいなかった。
「うちはずっとアパレルを専門にしてきた会社。僕も含めて飲食経験ゼロの社員しかいない。でもシステムエンジニアからアパレルに転職したときのように知識がないからこそ、まっさらな気持ちで貪欲にすべてを吸収できると感じました。それは無知ゆえの強みだと思うんです」。
飲食経験ゼロにもかかわらず、海保さんがロスから輸入を目論んだのは本場のハンバーガーだった。無謀ともいえる挑戦の続きは、【後編】で追っていこう。
藤野ゆり(清談社)=取材・文 小島マサヒロ=撮影