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SE時代に培った経験がチャンスをくれた


海保さんが幼い頃に熱烈に興味を惹かれたのは、パソコンだったという。世の中的にまだまだパソコンの認知度が低い時代。コンピューターを初めて見たときの衝撃は、ほとんどひと目惚れのようなものだった。

海保さん

「小学5年生ごろから興味を持ち始めて、雑誌を見てはため息をついていました。当時はマイコン、マイクロコンピューターって言っていましたが。手に入らないなかで本や雑誌で知識だけは増えていって…… 中学生になってやっと買ってもらえたときは、うれしかったですね」。

「パソコンの知識を身につけることが、これからの働き方には重要だ」と、その必要性を早くから感じ取っていた学生時代。大学入学後もその興味は薄れず、就職活動はシステムエンジニア一本に狙いを定めた。1992年から93年にかけて、バブル崩壊によって日本の経済状況が一変する最中だった。

「最初から開発に行きたいという気持ちがありました。エンジニアの世界で知識を身につけて、いずれは商社にいこうと思っていたんです。その頃から海外との貿易や世界と関わる仕事に興味があった」。

夢中になってかき集めたパソコンの知識は、意外なところで役に立った。

「面接の際、人事担当の人とコンピューターの機種名やスペックですごく盛り上がったんですよ(笑)。もうとにかく知識だけは持っていたので。それが決め手だったと思います」。

運も手伝って大手メーカー系のシステムエンジニアとして採用。最初は転職も視野に入れていたが、気づけば12年。すっかりベテランと呼ばれる域にまで到達していた。34歳で転職を決めたのは一体なぜだったのだろう。

「30過ぎてシステムエンジニアにおける分岐点を迎えたんです。業界的な慣習ですが、この頃になると開発は若手に任せて、古株は営業に回されるようになる。現場を離れる35歳が区切りかなと考えていました」。

どうせ転職するのなら新しいことに挑戦したい。そう考えていた矢先に声をかけてきたのは、仕事で親交のあったアメリカ人だ。

「彼はアクセサリー会社のオーナーで、ホームページを作ってほしいと頼まれたことがきっかけでした。僕はそういうのは得意だったので……在庫システムとか商品の注文ができるようなサイトを作って信頼関係を築いていった。転職するという話をしていたら、『うちに来ないか?』と誘われたんです」。

思いがけず海外と関わる仕事のチャンスが舞い込んできたのだ。これまで培ってきた経験とは180度正反対の業界だからこそ、挑戦しがいもあると感じた。こうして海保さんは34歳でIT業界からファッション業界へ転身を図ることになる。



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