知識がない業態でも積極的に飛び込んでみる
とはいえ、もともとファッションに興味・関心があるタイプではなかったという。
「キャットストリートの場所も知らなかったぐらい。秋葉原の路地裏にあるハードディスクが安い店ならわかるけど……(笑)。本当に何も知識がない状態で飛び込みました。それは今のウマミバーガーと一緒ですね」。
シルバーアクセサリーに特化した輸入代理店の一員として、日本におけるブランドの知名度やイメージ向上のために動くのが海保さんの目下のミッションだった。
百貨店など卸先は徐々に増えていき、デザイナーのいる西海岸に自ら足を運ぶことも。多忙なアメリカ人オーナーに変わって海保さんは日本支店をすべて任されるような重要なポジションになっていき、アイウェアに下着と、取り扱う商品も幅広く展開していった。
そうして、西海岸と日本を行き来するなかで出合ったのが「ウマミバーガー」だ。
「うまみって日本語じゃないの? そう聞くと『英語でもウマミって言うんだ。1回食ってみろ、うまいから』と自信たっぷりに言われた。ひと口食べて感じたんです。これ日本に持っていったら面白いんじゃないかと」。
それは幼い頃にコンピューターをひと目見て感じた衝撃のように、海保さんを一瞬で夢中にさせた。とはいえ、飲食のノウハウを持つ人間は、海保さんをはじめ周囲にひとりもいなかった。
「うちはずっとアパレルを専門にしてきた会社。僕も含めて飲食経験ゼロの社員しかいない。でもシステムエンジニアからアパレルに転職したときのように知識がないからこそ、まっさらな気持ちで貪欲にすべてを吸収できると感じました。それは無知ゆえの強みだと思うんです」。
飲食経験ゼロにもかかわらず、海保さんがロスから輸入を目論んだのは本場のハンバーガーだった。無謀ともいえる挑戦の続きは、
【後編】で追っていこう。
藤野ゆり(清談社)=取材・文 小島マサヒロ=撮影