もし、今日が人生“最後の晩餐”だとしたら、アナタは何をテーブルに運んでもらうだろうか? 最後と知らず「アレが食べられてれば……」と後悔するなんてまっぴらゴメン。食いしん坊オッサンたちよ、教えてください。「人生最後の日、どこの何が食べたいですか?」
今回のゲストは、舌鋒鋭い語り口で人気の松尾貴史さん。好きが高じて下北沢にあるカレー店「般°若(パンニャ)」を経営する松尾さんだけに、最後の晩餐はやっぱりカレーかと思いきや、指定されたのは意外にも蕎麦。なんでだろう?というところから取材は始まった。
「カレーは死ぬ日も“最後”以外で食べてるでしょうから」。
松尾さんが最後の晩餐にカレーを選ばなかった理由はシンプルだった。確かにそうかもしれない。
そこで、向かった先は麻布十番。蕎麦屋の「更科堀井」である。2018年に創業230年を迎えた老舗の存在を知ったのは、テレビ業界の知人に連れてきてもらったのがきっかけとのこと。以来、近くで仕事があったりするとお邪魔しているという。
「僕は“こだわり”っていう言葉が大嫌いで、精神論をかざしたり文学を気取ってる蕎麦屋が窮屈で苦手なんですよ。ここは気取らなくても、美味しい蕎麦が食べられる。店も広いからふらっと立ち寄って入れるのもいいんですよ」。
取材時は夕方で、すでに結構な客がいたが、確かに、席数も多く回転率はよさそう。とはいえ、せわしさもない。しかも、江戸時代から続く老舗なのに敷居が高すぎず、構えることなく蕎麦が味わえそう。
早速、松尾さんはこちらの看板メニュー「さらしなそば」(930円)を注文。
程なくして「さらしなそば」は松尾さんの前へ。それを見て「淡雪のようだねぇ」と言うように、この蕎麦の特徴は真っ白なことだ。
「蕎麦はのびないうちに食べるのがいちばん」と、ガシッとすくい、麺つゆにたっぷりつけて、ズルズルズルッ!
食べ方などに何かこだわりがあるのか聞いてみると、
「先ほども言った通り、僕は妙なこだわりが嫌いなんでね、作法なんかどうでもよくて。美味しく食べられれば、それでいいんです。
蕎麦を食べるのに、少しだけ箸に取っておしとやかに……なんてやってるのを見ると可哀そうだなぁって思いますよ。ズルズルやって蕎麦をもぐもぐ噛んで食べなきゃ香りも楽しめないのに」と松尾さん。
実際、蕎麦の実の芯の粉で打った「さらしなそば」は、噛むほどに香りが立ち、口の中に旨味が広がる。そして、麺つゆもとても美味い。すると、松尾さんが蕎麦をすすりながらこんな話を教えてくれた。
「つゆは少しだけつけるのがツウなんて言いますけど、それは江戸や明治の話です。当時のつゆはしょっぱかったから、そんなにつけられなかっただけのはずで、ある種の言い訳みたいなもんですよ。今のつゆは出汁が利いた優しい味わい、たくさんつけたほうが美味いでしょう。
そういえば、江戸時代の話ですけど、蕎麦は四角いから食べると胃に傷がつくって信じてた人がいたらしいですよ。バカですよね(笑)」。
そして“たられば最後の晩餐”をあっという間に完食。と同時に、「お酒もいい?」とニヤリ。いつもは蕎麦前(蕎麦を食べる前に軽く一杯飲むこと)でホロリとしてから蕎麦を手繰るそうだが、今日は「蕎麦後」だ。
テーブルに届いたビールをグラスに注ぎながら出たのは、理想の老後論だった。
「昔からの理想っていうのがあってね。それは、日が出ているうちから蕎麦屋で、店の棚の上にあるテレビを見て毒づきながらチビチビやって、最後に蕎麦をすするって時間を過ごすことなんです」。
どうやら理想の老後に近づいている感じ。ほろ酔いのなんとも言えない幸せそうな表情を見るにつけ、食は幸せの根源なんだと思わされる。
人生の最後に好きなものを食べられるかどうかは、実はとても重要なことなのだ。
総本家 更科堀井住所: 東京都港区元麻布3-11-4電話:03-3403-3401営業:11:30~21:00(土・日曜、祝日は11:00~)取材・文
ジョー横溝(じょーよこみぞ)●音楽から社会ネタ、落語に都市伝説まで。興味の守備範囲が幅広く、職業もラジオDJ、構成作家、物書き、インタビュアーetc.と超多彩な50歳。ラジオのレギュラー番組として「The Dave Fromm Show」(interFM897)、著書に『FREE TOKYO〜フリー(無料)で楽しむ東京ガイド100 』など多数。