37.5歳の人生スナップ Vol.50
2019.03.30
LIFE STYLE

希望に向かって跳ぶ男・寺島武志 〜不安や葛藤を乗り越えて〜

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2018年のアジア大会で史上初の銀メダルを獲得した、セパタクロー日本代表のアタッカー・寺島武志さん。
2018年のアジア大会で史上初の銀メダルを獲得した、セパタクロー日本代表のアタッカー・寺島武志さん。

東京五輪が開催される2020年を目前に控え、世間の関心がスポーツに集まる中、国民の視線の先から少し離れた場所でも、日々鍛錬を積んでいるアスリートたちがいる。

セパタクロー日本代表のアタッカー・寺島武志(36歳)も、そんなアスリートのひとりだ。

セパタクローは東京五輪の正式種目にはなっていないため、世間の目が彼に向けられる機会はあまりない。決して恵まれてはいない環境だが、日々仕事をし、家族を養いながら競技と真摯に向き合っている。

なぜ寺島は、36歳になった今もセパタクローを続けているのだろうか。そこには、将来への不安や葛藤を乗り越えて、希望へ向かって跳ぼうとする男の姿があった。

 

空中の格闘技、セパタクロー

そもそも、セパタクローというスポーツのことを皆さんはご存知だろうか。

セパタクローとは、バドミントンと同じ高さ152cmのネットを挟み、足や頭を使ってボールを相手コートに返す競技だ。脚版のバレーボールとでもいえば良いだろうか。

サッカーとバレーボールが合わさったようなこの競技は、タイやマレーシアで非常に人気が高いスポーツ。特にタイには強いプロリーグがあり、公園にはセパタクローのネットが張られていて、夕方になると子供から大人までが親しんでいる。

トップクラスの選手が蹴るボールの体感速度は150km/hになるともいわれており、スピーディかつダイナミックな試合展開とアクロバティックで迫力のある空中戦が魅力のスポーツだ。

セパタクローのスゴさは、こちらの動画を見れば一目瞭然。

 

タイに挑戦し続けた7年間、そして新たに起きた変化

そんなセパタクローの世界に生きる者にとっての聖地は、タイ。サッカーにおけるブラジルがそうであるように、セパタクローの王国・タイは、多くの選手が憧れる場所だ。寺島は2011年から毎年、タイリーグの開催期間になると単身で海を渡り、タイでセパタクロー漬けの生活を続けてきた。

初めの頃は、言葉の壁に苦しみチームの輪に加われない時期もあったが、経験を重ねると徐々にタイでも活躍できるようになり、本場の選手たちからも認められる存在になっていった。そんな寺島に「今年もタイへ行くのか」と訊いてみたところ、少し意外な答えが返ってきた。

「去年もタイには行けなかったんですよね。ちょうどアジア大会があって、タイリーグの開催時期と日本代表の活動が重なっていたこともあり、代表活動を優先しました。今年どうするかは、少し考えているところです。子供も小さいし、家族のことや環境面で解決しないとならないことが増えたので」。

寺島は2017年に結婚し、子供も授かった。自宅を引越しすることも検討している。これまでセパタクローと寺島の距離感は一見すると変わっていないように思えた。だが、背負うものが増えた寺島の心には、微妙な変化が起きているのだろう。

 

セパタクロー選手・寺島武志の1日

家族を養う寺島の1日は、朝5時半に始まる。オフィス向けの飲料販売サービスを行う阪神酒販株式会社で正社員として働いている寺島は、幼い子供と子育てに奮闘している妻の寝顔を横目でみながら静かに家を出る。車で自分が担当するエリアのオフィスを訪問し、設置された小型冷蔵庫にドリンクを補充して回る。重い飲料を運んで、商品を補充する仕事は想像以上にハードな仕事だ。

「若い頃はちょうど良かったんですけどね。仕事中に重いものを持っても、あまり疲れを感じなかったんですが、年齢を重ねるごとにだんだん疲労を感じるようになりますよね、やっぱり」。

こうして17時まで仕事をしたあと、練習場に移動して着替え、自らのスイッチを切り替える。セパタクロー選手としての1日の始まりだ。アスリートとして36歳という年齢は決して若くはないが、寺島にとってセパタクローに向き合う時間は、いつだって自分を表現し自分を磨く大切なひとときだ。約2時間の練習を終え、帰宅するのは23時を回った頃。寝息を立てて布団にくるまっている妻と幼い子供の顔を眺めてホッとしながら、翌朝に備えて床に就く。

トップアスリートであるにも関わらず睡眠時間が少ないのは、背負うものの大きさとまだまだ恵まれない競技環境を物語っている。それでも寺島は力強くこう語る。

「これからセパタクロー界に入ってくる若者たちのためにも、僕らが頑張らないと。結婚して子供も生まれて、マイカーもマイホームも持って、それなりに生活している姿を見せたいんですよね」。

寺島が背負っているのは家族だけではない。セパタクローの未来をも背負っている。

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自分の居場所をツクル

寺島は現在、阪神酒販のセパタクローチームに所属しているが、入社した当時から会社にセパタクローチームがあったわけではない。阪神酒販のセパタクローチームは、寺島が会社と交渉の末に設立されたものだ。

当時、阪神酒販は、オフィス向けの飲料販売サービスを展開するにあたり、アスリートを採用して事業を成長させたいという意向があった。知り合いの紹介により、寺島を始めとする何人かのアスリートが阪神酒販に入社。正社員として勤務しながら、それぞれのチームに所属してそれぞれの競技を続けていた。だが、事業は決して順調に推移したわけではなかった。

仲間たちは徐々に会社を辞めていってしまい、結局、最後まで残ったセパタクロー選手は寺島ただひとりだった。さすがにこのときばかりは、会社のスポーツへの理解も薄まってしまい寺島の立場も厳しい状況に陥ったが、そんな状況でも寺島はひとりで頑張り続けた。少しづつ信頼できるセパタクロー仲間を呼び寄せながら会社の事業に貢献していくと、会社は再びスポーツへの理解を示してくれるようになった。

セパタクロー選手がある程度集まり、みんなで会社のために頑張っていると、「やっぱりセパタクローの人間っていいよね」という認識が社内に広まっていった。そのタイミングで、寺島は会社にセパタクローチームの設立を交渉し、ついにチーム設立と国内活動の支援の約束を得ることに成功した。寺島の会社への貢献度が認められた結果だった。

「周りが辞めていったときは、もちろん心細くなりましたよ。僕自身もほかからのお誘いがありました。でも、“少し違うな”って思って、ひとりで頑張ることにしました。結果論ですけど、続けてきて良かったなって思いますね」。

寺島は常々、支援してくれている会社への感謝と、自ら作り上げたチームへの愛着を口にする。

 

将来への不安との葛藤

2018年の夏に行われた第18回アジア大会で、セパタクロー日本代表は史上初の銀メダルを獲得した。この快挙はスポーツニュースなどでも報じられ、セパタクロー界は久しぶりに世間の注目を集めた。

代表チームの一員として日の丸を背負って戦う喜びは、寺島にとって何にも代えがたい大切なもの。3年後には再びアジア大会がやってくる。3年後、4歳になっているはずの息子を想いながら、寺島は今、大きな葛藤と戦っている。

「3年後まで続けていれば、選手として頑張っている僕の姿を子供に見せることができて、大人になっても覚えていてくれるかもしれない。それは僕にとってはひとつの大きな目標です。でも、先々のことを考えたら、違う選択をしたほうがいいのかもしれないって思うこともある。葛藤はもちろんあります。マイナー競技ですし、将来こうなっているだろうっていう予測は立てづらい。

だから今は、目の前のことを一生懸命やっています。将来もセパタクローに関わりながら生きる環境を自分で作っていきたいので、そのためにどんな選択をしていくことがベストなのか、選手をやりながら並行して考えているところです」。

いま居る場所が決して安泰ではないことくらい、漠然とわかっている。理想と現実の狭間でもがき、不安や葛藤に苛まれながらも今を生きる。厳しい環境下であっても、家族を養う責任を背負い、セパタクロー界の未来を背負って日々を過ごす強さを支えるもの。それは、これまで積み上げてきたアスリートとしての矜持なのだろう。

寺島は、将来への希望を胸に今日も跳ぶ。寺島の頭の中で描かれた未来は、日々姿を変えていく。家族への強い想いとセパタクローへの愛情で力強く彩られながら。

 

高須 力=写真(試合) 瀬川泰祐=写真(取材)・文

# 37.5歳の人生スナップ# セパタクロー# 寺島武志
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