自分の居場所をツクル
寺島は現在、阪神酒販のセパタクローチームに所属しているが、入社した当時から会社にセパタクローチームがあったわけではない。阪神酒販のセパタクローチームは、寺島が会社と交渉の末に設立されたものだ。
当時、阪神酒販は、オフィス向けの飲料販売サービスを展開するにあたり、アスリートを採用して事業を成長させたいという意向があった。知り合いの紹介により、寺島を始めとする何人かのアスリートが阪神酒販に入社。正社員として勤務しながら、それぞれのチームに所属してそれぞれの競技を続けていた。だが、事業は決して順調に推移したわけではなかった。
仲間たちは徐々に会社を辞めていってしまい、結局、最後まで残ったセパタクロー選手は寺島ただひとりだった。さすがにこのときばかりは、会社のスポーツへの理解も薄まってしまい寺島の立場も厳しい状況に陥ったが、そんな状況でも寺島はひとりで頑張り続けた。少しづつ信頼できるセパタクロー仲間を呼び寄せながら会社の事業に貢献していくと、会社は再びスポーツへの理解を示してくれるようになった。
セパタクロー選手がある程度集まり、みんなで会社のために頑張っていると、「やっぱりセパタクローの人間っていいよね」という認識が社内に広まっていった。そのタイミングで、寺島は会社にセパタクローチームの設立を交渉し、ついにチーム設立と国内活動の支援の約束を得ることに成功した。寺島の会社への貢献度が認められた結果だった。
「周りが辞めていったときは、もちろん心細くなりましたよ。僕自身もほかからのお誘いがありました。でも、“少し違うな”って思って、ひとりで頑張ることにしました。結果論ですけど、続けてきて良かったなって思いますね」。
寺島は常々、支援してくれている会社への感謝と、自ら作り上げたチームへの愛着を口にする。
将来への不安との葛藤
2018年の夏に行われた第18回アジア大会で、セパタクロー日本代表は史上初の銀メダルを獲得した。この快挙はスポーツニュースなどでも報じられ、セパタクロー界は久しぶりに世間の注目を集めた。
代表チームの一員として日の丸を背負って戦う喜びは、寺島にとって何にも代えがたい大切なもの。3年後には再びアジア大会がやってくる。3年後、4歳になっているはずの息子を想いながら、寺島は今、大きな葛藤と戦っている。
「3年後まで続けていれば、選手として頑張っている僕の姿を子供に見せることができて、大人になっても覚えていてくれるかもしれない。それは僕にとってはひとつの大きな目標です。でも、先々のことを考えたら、違う選択をしたほうがいいのかもしれないって思うこともある。葛藤はもちろんあります。マイナー競技ですし、将来こうなっているだろうっていう予測は立てづらい。
だから今は、目の前のことを一生懸命やっています。将来もセパタクローに関わりながら生きる環境を自分で作っていきたいので、そのためにどんな選択をしていくことがベストなのか、選手をやりながら並行して考えているところです」。
いま居る場所が決して安泰ではないことくらい、漠然とわかっている。理想と現実の狭間でもがき、不安や葛藤に苛まれながらも今を生きる。厳しい環境下であっても、家族を養う責任を背負い、セパタクロー界の未来を背負って日々を過ごす強さを支えるもの。それは、これまで積み上げてきたアスリートとしての矜持なのだろう。
寺島は、将来への希望を胸に今日も跳ぶ。寺島の頭の中で描かれた未来は、日々姿を変えていく。家族への強い想いとセパタクローへの愛情で力強く彩られながら。
高須 力=写真(試合) 瀬川泰祐=写真(取材)・文