37.5歳の人生スナップ Vol.45
2019.02.25
LIFE STYLE

「ハマるを超えたところに使命がある」情熱のロボット開発者・林 要(45歳)の人生観【前編】

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人生で「使命」と呼べるものに出会える人は、果たしてどれぐらいいるだろう。これが自分の使命だ……そう感じながら仕事ができるのは、ビジネスマンとして非常に幸せなことに思える。一方で使命感とやらは、いまいちあやふやで得体が知れない。経営者はよく「世のため人のため」と理念を謳うが、その使命感は一体どこから湧き出てくるものなのか?

ロボットベンチャー企業・GROOVE X(グルーヴエックス)の代表取締役・林 要さん(45歳)は、そんな使命感に突き動かされ「ロボット事業」に心血を注ぎ続けている1人。彼が開発中の「LOVOT(ラボット)」は一体どのようなロボットなのか。

林要

「ひと言で表すならば、『なにもしないロボット』。人間の代わりに家事をするわけでも、何かコンテンツがあるわけでもない。ただ持ち主の『愛するちから』を育む手助けをすることが目的のロボットです」。

丸いフォルムと愛らしいフェイス。体温を持ち、抱きかかえると赤ちゃんのようなほのかな温もりを感じる「LOVOT(ラボット)」。喋ることもなければタスクをこなすわけでもない。(ラボットについてはこちらの記事を参照)

ラボット
グルーヴエックスに展示されているラボットたち。2019年秋〜冬の発売が予定されている。

以前はソフトバンクで、かの有名なPepper(ペッパー)の開発に携わっていた林さん。ペッパーとはまるで対極に位置するようななんのコンテンツも持たないラボットの開発に乗り出したのは、今から3年前のことだった。いち技術者として叩き上げ、経営者・開発リーダーとしてロボット分野の未来を切り拓くために奮闘する、林さんの使命のメカニズムに迫った。


『風の谷のナウシカ』の“メーヴェ”に夢中になった学生時代

子供時代について尋ねると、「好きなことしかやらないタイプだった」と言って、林さんは笑う。

林要

「僕は何に燃えて何に燃えないか、昔からわかりやすいタイプでした。”好きなこと”と”我慢してやってること”があったら、結局パフォーマンスが出るのは”好きなこと”のほうじゃないですか。好きであれば自らたくさん突き詰めるし情熱も続く。それだけのことかなと思います」。

誰しも何かに“ハマる”感覚は持っているだろうが、林少年にとってそれは食べ物やゲームではなく、ジブリ映画『風の谷のナウシカ』に登場する飛行機“メーヴェ”だった。メーヴェの構造を研究し、似せた飛行機の模型を作っては自宅の窓から飛ばしていたそうだ。

「熱中しやすいというだけで、何か秀でた点があるような少年ではなかった。勉強には全然ハマらなかったです(笑)」。

林さんの飛行機熱は冷めることなく、大学時代は所属していた航空部の仲間とともにグライダーに乗り操縦桿を握った。高校時代からハマっていたバイクでは事故にあったという失敗談も持っている。

「ハマっているときって、一種のフロー状態。だから常にそういうものが目の前にあれば、人は成長できると思います。学生時代にハマるものが何も見つからない時期っていうのも当然あったんですけど、そういうモラトリアム期間こそ自分を見つめ直すいい機会なんじゃないかと、今は思いますね」。

大学卒業後は院に進学し、その後、自動車好きを極めようとトヨタ自動車に入社。スーパーカー「レクサスLFA」の空力開発部門についた。トヨタに入ってすぐに痛感したのは、職人としてモノを作ることは夢と自由の裏返しでもあるということだ。

「一生かかっても学びきれるのかな、と思うほどの先人たちの膨大な知恵とノウハウを目の当たりにして、学生時代は仕事をなめてたなって思いましたね。真剣なモノ作りをしている人たちはこんなにも多くの制約と向き合い、そこにはきちんとした理由があるんだなと」。

とはいえ、自身が夢中になれる領域であれば、課題が難しいほどハマってしまうのも林さんの性質だ。

「仕事は面白かったですね。まあここでも自分が燃えられることしかやらなかった……というのが正しいかもしれないですが」。

車に触れたいという自身の希望もあり最初に配属されたのは、実験部。しかし実際に任された仕事は、バーチャル空間でのシミュレーションだった。

「案の定、まあ燃え切りませんでした(笑)。そんなときに少し車に触るチャンスをいただいた実験があって、そのプロジェクトに自分の9割の時間をツッコンで残りの1割ぐらいで、自分の本来のシミュレーションの仕事をこなしていました」。

会社の意向とは大きくズレた方向で、圧倒的な熱量を見せた林さん。どこまでも自分のハマる・ハマらないに素直な人なのだ。そんな林さんの仕事っぷりは、良くも悪くも評価されることとなった。

「完全にネガティブな理由で目立ったことがあったのですが、それが回り回ってF1に行くキッカケになりました(笑)。上の意向とずれているとエリートにはなれない。けれど、成果を出したことで、それなりに面白い奴というポジションは得ることができましたね」。

30歳を迎える年、林さんはF1(フォーミュラワン)の空力開発に抜擢。ヨーロッパのフォーミュラワンチームでF1カーの開発を担当することとなった。

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F1の開発でぶつかった大きな壁

配属先のF1空力(エアロダイナミクス)部門では、言葉の壁に悩まされたという。30カ国以上の人間が一緒に働くなかで日本人は1人もいなかった。しかも実績もない中で最先端のエアロダイナミクスで成果を出さなければならない状況。過酷ではあったが、ここでも林さんの“ハマる力”が本領を発揮する。

「英語が苦手な僕にとっては、かなりのサバイバル環境でしたが、僕は土日も仕事のことしか考えてなかった。その頃に人生を謳歌している人たちに比べたら、無駄に長い時間を使って新しい環境への適応をしようともがいていたので、学習したことは多かったと思います」。

林さんの燃える力の源泉はどこにあるのか。自身では仕事と趣味の領域が同じだった影響は大きいと分析する。

「仕事と趣味の境目をわければわけるほど時間は分散します。その点、僕は夢中になれる仕事しか頑張れなかった。夢中になる仕事よりも燃えられるような趣味もなかった。だから仕事が趣味のようになりました。それが幸運かどうかは人それぞれですが、僕はそういう風にしか生きられないタイプだったんです」。

ハマったことには一直線に情熱を注ぐ林さんだが、そういう状況で走り続け、バーンアウトしないほうがおかしいだろう。当然、スランプに陥った時期もあった。

「これまではアイデアがあり過ぎて試せない……というフラストレーションが大きかったんですが、F1でそれを試せる環境を得て日々試し続けた結果、3年ぐらいでネタがすこーんとなくなったんです」。

「人生をすべてそこにかけていたので、もう何もアイデアが出てこないと思ったら自分の存在価値がなくなったように感じた」というほどのバーンアウトは、生涯でもっとも恐怖を感じた瞬間だった。

社会人になってから職人的な働き方を続けていた林さんは、そんなバーンアウトを経験したのちに、一旦職人側から離れ、プランニング側に立つことになる。そして孫正義氏との出会いによって、人生を大きく変えることとなるのだった。

後編へ続く

藤野ゆり(清談社)=取材・文

# 37.5歳の人生スナップ# ラボット# ロボット# 林要
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