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F1の開発でぶつかった大きな壁

配属先のF1空力(エアロダイナミクス)部門では、言葉の壁に悩まされたという。30カ国以上の人間が一緒に働くなかで日本人は1人もいなかった。しかも実績もない中で最先端のエアロダイナミクスで成果を出さなければならない状況。過酷ではあったが、ここでも林さんの“ハマる力”が本領を発揮する。
「英語が苦手な僕にとっては、かなりのサバイバル環境でしたが、僕は土日も仕事のことしか考えてなかった。その頃に人生を謳歌している人たちに比べたら、無駄に長い時間を使って新しい環境への適応をしようともがいていたので、学習したことは多かったと思います」。
林さんの燃える力の源泉はどこにあるのか。自身では仕事と趣味の領域が同じだった影響は大きいと分析する。
「仕事と趣味の境目をわければわけるほど時間は分散します。その点、僕は夢中になれる仕事しか頑張れなかった。夢中になる仕事よりも燃えられるような趣味もなかった。だから仕事が趣味のようになりました。それが幸運かどうかは人それぞれですが、僕はそういう風にしか生きられないタイプだったんです」。
ハマったことには一直線に情熱を注ぐ林さんだが、そういう状況で走り続け、バーンアウトしないほうがおかしいだろう。当然、スランプに陥った時期もあった。
「これまではアイデアがあり過ぎて試せない……というフラストレーションが大きかったんですが、F1でそれを試せる環境を得て日々試し続けた結果、3年ぐらいでネタがすこーんとなくなったんです」。
「人生をすべてそこにかけていたので、もう何もアイデアが出てこないと思ったら自分の存在価値がなくなったように感じた」というほどのバーンアウトは、生涯でもっとも恐怖を感じた瞬間だった。
社会人になってから職人的な働き方を続けていた林さんは、そんなバーンアウトを経験したのちに、一旦職人側から離れ、プランニング側に立つことになる。そして孫正義氏との出会いによって、人生を大きく変えることとなるのだった。
後編へ続く

藤野ゆり(清談社)=取材・文


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