「負けは負け、ムダはムダ」。43歳芸人・山田ルイ53世の潔い生き方【前編】
>連載「37.5歳の人生スナップ」を読む
「ルネッサーンス!」。
高らかに掲げたワイングラスをカチーンとぶつけ、高笑いする貴族服をまとった2人組……といえば、あの姿が頭に浮かぶことだろう。シルクハットを被った恰幅のいい山田ルイ53世とそれとは対照的にヒョロヒョロの体躯をしたひぐち君によるお笑いコンビ「髭男爵」である。
昨年、山田ルイ53世(43歳)はノンフィクション作品『一発屋芸人列伝』が「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」に輝くなど、最近は文筆家としても活躍を見せている。
今年1月、自身にとっての4冊目の著作である『一発屋芸人の不本意な日常』を上梓した彼に、これまでの人生について問いかけてみると意外な答えが返ってきた。
「負けを濁して、とりあえずまあ生きているって感じです」。
日の目を見ることすら難しい芸能界において、強烈な一発を放てた芸人は数えるほど。一発屋芸人と揶揄されることはあれど、彼は現在進行形で「物書き」としても新たな才能を開花させている。なぜ、自身の人生を「負け」と一蹴するのか。その理由を聞いた。

「それでも、人生は続く。」という帯の言葉が心に響く一冊。
勉強も運動もなんでもできる「神童感」
誰にでも人生における輝かしい時期、人生のピークとも呼べるようなきらめきを放つ瞬間があるものだが、彼にとってのそれは紛れもなく小学生時代だったという。
「僕はあの頃の自分を“神童”っぽかったなと勝手に思ってるんですが(笑)、勉強もできたし、4年生から始めたサッカーも入ってすぐリフティングができるようになってレギュラー入り。間違いなくバレンタインのチョコは小学生の頃が1番もらってましたね。芸人で一発当てたときも、あんなに貰えなかったです(笑)」。
公務員の父とそれを支える母、そして兄弟。兵庫県三木市のごく一般的な家庭で育った彼は、親の言うことも教師の言うことも守り、なんでも要領よくこなす、これ以上ない“優等生”だった。
「当時の僕は、人間を“主役”と“脇役”にわけて考えるようなところがありました。当然自分は主役側の人間。クラスでも目立たないようなタイプの子はエキストラだとか。本当イヤな子供で申し訳ないんですけど」。
東大生などを輩出する「六甲中学校」の受験に成功したことも、“神童感”をより高めた。地元では誰も進学者のいない中高一貫の名門中学校だった。中学校入学後も、彼の物事に全力で取り組む姿勢は変わらず、優等生で通っていた
しかし、その生真面目さゆえにどこかで気持ちのバランスを失っていたのかもしれない。中学受験前後から、自分のなかの決められたルーティンを全てこなさないと机に向かえなくなってしまったという。
「ちょっと強迫神経症のようになっていました。たとえば勉強をするにも、まず部屋に掃除機をかけ、自分の体に入念にコロコロをかけて、床や机、家具等を筆箱やシャーペンに至るまでとにかくありとあらゆるものを拭く。手の指の関節をすべて鳴らす。とか決められた段取りをこなすまで勉強が始められないんです」。
「事件」を機に6年間のひきこもり期間に突入……
中学2年の夏休み直前、「事件」は起きた。そこから6年間の引きこもり生活に入るキッカケにもなった出来事だ。
「通学路に長くてキツい坂道があるんですよ。まあ端的に言えば、僕はある日、登校途中にその坂道の途中でウンコを漏らしたんです。それで夏休み明けから学校に行かなくなった」。
14歳、多感な時期だ。「今だったら別に粗相したとこを誰かに目撃されたわけでもないし、漏らしちゃったワハハ……で済ますこともできただろうなって思うんですけどね」と語るが、14歳「優秀な山田君」の自意識はそれを許さなかった。これを機に6年間の引きこもり生活がスタートする。
最近、母校を再訪する機会があったという山田ルイ53世。数十年ぶりに訪れたトラウマの場所、最寄駅から学校まで続く長くキツい坂道を踏みしめ、驚いたという。
「びっくりしたんですよ。大人になって歩いてみたら『俺が思ってたより全然キツいし長い坂道やん!』って。普通、大人になって見てみると大したことなかったな……とか思うはずじゃないですか。その逆で思い出の中の坂道より、数倍キツい。トラウマすぎて思い出を過小評価してるんやとビックリしました(笑)」。
とはいえ数年ぶりに再訪した母校には懐かしさもこみ上げたようで、彼のために集まった当時の同級生とも再会し、思い出話に花が咲いた。
「医者になったヤツや、経営者になってるヤツもいました。まあ僕も貴族ですけど(笑)。当時は僕より全然成績悪かった人達ばっかなのに(笑)。だから人生ってわからないよなと思います」。
人生、どんなふうに転ぶかわからない。すっかり頭がロマンスグレーに染まった同級生との再会写真を見せつつ、そう言って苦笑する。
二十歳までの引きこもり期間に感じたこと
優等生だった息子が突如として学校に行かなくなった。6年間の引きこもり期間中、両親との衝突は避けられなかった。社会との隔絶感などに苛まれ、もともと神経症気味だった彼の症状は悪化していった。
近所のコンビニでバイトをしてみた時期もあったが、人目が気になって続けることは難しかった。少し働いてみてはひきこもりに逆戻り。自信を失い、人と話すことや目を合わすことすら怖くなり、対人恐怖症のようになったという。しかし、現在のようにネットも発達していない時代。いったい、どのように毎日を過ごしていたのか。
「ラジオ聞いたり本読んでぼーっとしてたり、引きこもってるせいで体が真っ白だったんでパンツ一丁で屋根の上で日光浴したり(笑)。相当、ご近所さんからは奇異な目で見られてましたね。あとは自分の心のなかをつらつらとノートに思いっきりぶつけてました。日記とも言えないようなものですが」。
そんな20歳までの引きこもりの期間を一切の躊躇もせず「ムダな6年間だった」と切り捨てる。そこには彼なりの考えがあるようで……。
後編に続く
冨田千晴=撮影 藤野ゆり(清談社)=取材・文
【関連書籍】
『一発屋芸人の不本意な日常』(著:山田ルイ53世/朝日新聞出版)
ある日は地方営業でワイングラスに石を投げられ、ある日はサインをネットで売られる。自ら「負け人生」とかたる日々をコミカルにつづった切なくも笑える渾身のエッセー。
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=20661