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2019.02.04

ライフ

芸人・山田ルイ53世の潔い生き方「負けは負け、ムダはムダ」【前編】

>連載「37.5歳の人生スナップ」を読む
「ルネッサーンス!」。
高らかに掲げたワイングラスをカチーンとぶつけ、高笑いする貴族服をまとった2人組……といえば、あの姿が頭に浮かぶことだろう。シルクハットを被った恰幅のいい山田ルイ53世とそれとは対照的にヒョロヒョロの体躯をしたひぐち君によるお笑いコンビ「髭男爵」である。
昨年、山田ルイ53世(43歳)はノンフィクション作品『一発屋芸人列伝』が「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」に輝くなど、最近は文筆家としても活躍を見せている。
山田ルイ53世
今年1月、自身にとっての4冊目の著作である『一発屋芸人の不本意な日常』を上梓した彼に、これまでの人生について問いかけてみると意外な答えが返ってきた。
「負けを濁して、とりあえずまあ生きているって感じです」。
日の目を見ることすら難しい芸能界において、強烈な一発を放てた芸人は数えるほど。一発屋芸人と揶揄されることはあれど、彼は現在進行形で「物書き」としても新たな才能を開花させている。なぜ、自身の人生を「負け」と一蹴するのか。その理由を聞いた。
一発屋芸人列伝
レイザーラモンHG、ジョイマンなど、世間から「消えた」芸人のその後を取材。
「それでも、人生は続く。」という帯の言葉が心に響く一冊。
 

勉強も運動もなんでもできる「神童感」

誰にでも人生における輝かしい時期、人生のピークとも呼べるようなきらめきを放つ瞬間があるものだが、彼にとってのそれは紛れもなく小学生時代だったという。
「僕はあの頃の自分を“神童”っぽかったなと勝手に思ってるんですが(笑)、勉強もできたし、4年生から始めたサッカーも入ってすぐリフティングができるようになってレギュラー入り。間違いなくバレンタインのチョコは小学生の頃が1番もらってましたね。芸人で一発当てたときも、あんなに貰えなかったです(笑)」。
公務員の父とそれを支える母、そして兄弟。兵庫県三木市のごく一般的な家庭で育った彼は、親の言うことも教師の言うことも守り、なんでも要領よくこなす、これ以上ない“優等生”だった。
「当時の僕は、人間を“主役”と“脇役”にわけて考えるようなところがありました。当然自分は主役側の人間。クラスでも目立たないようなタイプの子はエキストラだとか。本当イヤな子供で申し訳ないんですけど」。
東大生などを輩出する「六甲中学校」の受験に成功したことも、“神童感”をより高めた。地元では誰も進学者のいない中高一貫の名門中学校だった。中学校入学後も、彼の物事に全力で取り組む姿勢は変わらず、優等生で通っていた
しかし、その生真面目さゆえにどこかで気持ちのバランスを失っていたのかもしれない。中学受験前後から、自分のなかの決められたルーティンを全てこなさないと机に向かえなくなってしまったという。
「ちょっと強迫神経症のようになっていました。たとえば勉強をするにも、まず部屋に掃除機をかけ、自分の体に入念にコロコロをかけて、床や机、家具等を筆箱やシャーペンに至るまでとにかくありとあらゆるものを拭く。手の指の関節をすべて鳴らす。とか決められた段取りをこなすまで勉強が始められないんです」。


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