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2018.11.29

ライフ

26歳から未知の世界へ。“脱サラ”プロゴルファー・久古千昭の青春時代


OCEANS’s PEOPLE ―第二の人生を歩む男たち―
人生の道筋は1本ではない。志半ばで挫折したり、やりたいことを見つけたり。これまで歩んできた仕事を捨て、新たな活路を見いだした男たちの、志と背景、努力と苦悩の物語に耳を傾けよう。
現在53歳の久古千昭はプロゴルファーである。26歳の時に初めてクラブを握り、5年後にはプロテストに合格していた。なぜそんなことができたのかは、話を聞いた今でもわからない。無責任な言い方をすれば、彼は天才だったのだ。
にも関わらず、プロゴルファーは彼のゴールではなかった。今、彼は「第二」ではなく「第三」……もしかしたら「第四」ぐらいの人生を歩んでいるとも言える。まず語られるのは、彼がいかにして育ったかという話。

久古千昭はエントランスの前でのんびりとタバコをふかしていた。千葉県八千代市の「ピピゴルフリゾート」。140人の生徒を擁する「梶川・久古ゴルフアカデミー」の会場である。赤いウェアに身を包んだ久古さん、まあとにかく「デカくて分厚い」のであった。聞けば身長187cm、体重90kg。“飛ばし屋”のムードがみなぎっている。
「そうですね、飛距離には自信があります。まあ、間違いなく昔のほうが飛んだけどね」。
初手から一切壁を感じさせないフランクな佇まい。なんというか、千葉の気のいいアンちゃんなコミュニケーションなのである。1965年、ここからクルマで40分ほどの成田市の不動産業を営む家に生まれた。ゴルフ場の多い土地柄だが、幼少期はおろか学生時代も社会に出てからも、ほぼほぼゴルフと縁のない人生を送ってきた。

「でも子供のころから、将来は何かプロスポーツの選手になりたいとは思ってたんですよ」。
学生時代はバレー部。このタッパである。センターというポジションでエースとして活躍していた。とはいえ、バレーボールは将来の選択肢には入っていなかった。
「いやいや、僕なんか無理ですもん(笑)。当時千葉はバレー王国で、習志野高校なんかが全国大会で活躍していた時代で。無名な公立高校のバレー部なんて全然ダメです。いかにタッパがあっても部活より先のレベルに行けるはずもなかったです」。
そんな人物が、一旦社会に出てから突如プロゴルファーを目指し始めるのだから人生は面白い。だがまだ、それは先の話。兎にも角にも久古青年、高校3年生の最後の大会を前にバレー部からフェードアウトしてしまった。理由は「バイトしなくちゃならなかったから」。
「仲間のバイクに面白がって乗ってて、山に突っ込んで全損ですわ。それで弁償しなくちゃならなかったから(笑)」。
久古さん自身、興味本位で仲間からバイクを借りたのではなかった。当時、自身もすでに自動二輪の免許を取得済み。で、バイトしてローンで買ったバイクを夜な夜な乗り回していたのだ。愛車はスズキ・GSX-R。まんまサーキットで走れる性能を有する“最強のレーサーレプリカ”。80年代以降に巻き起こったバイクブームを象徴するような1台だった。


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