37.5歳の人生スナップ Vol.29
2018.11.19
LIFE STYLE

全国をハイエースで放浪する脱サラDJ。人生を変えたのは“モテたい心”

連載「37.5歳の人生スナップ」
人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。

「毎日違う場所で目が覚めるので、あれ? 今日はどこにいるんだっけ? って、わからなくなる日もあります(笑)」。

そう話すのは全国各地で開催される野外フェスやイベントでDJとして活動する、河合桂馬さん(36歳)だ。

雑誌『GOOUT』主催のイベントでもDJとして活躍。

「先週は長野にいて、その前は広島、滋賀……そして来週は沖縄へ行きます。ひさしぶりに東京へ来ましたけど、あったかいですね」。

旅の相棒は、河合さん自慢の愛車、4代目ハイエース。自らペイントを施したハイエースには、ベッドやサブバッテリーが備え付けられており、河合さんは1年のほとんどを車中で寝泊まりする。AC電源も使用可能なため、お湯をわかしたり、ご飯を炊いたりもできる。

「一応、30歳のときに茅ヶ崎に一戸建てを購入したんですけど、自宅でゆっくり過ごすっていうのは基本的にほとんどないですね。クルマ生活ってキツくないの? と言われるけど、けっこう快適に過ごせるんですよ」。

そう言って、ほがらかに笑う河合さんだが、元々DJ一本で生きてきたわけではない。大手商社を脱サラ後、DJとして全国各地を放浪……そこに至るまでには一体、どんなストーリーがあったのか。

始めた理由は「モテたいから」。

DJとの出会いは、大学時代だった。バイト先の先輩がクラブでDJをやっている姿を初めて見たとき、衝撃を受けた。

「なんだあれ、かっこいい!って。始めた理由は、モテたかったからっていう、すごく単純なものです(笑)。奨学金から費用を捻出して、ターンテーブルを買ったところからスタートしました」。

20歳の河合さんにとって、10万円のターンテーブルは、とても高価で、忘れられない買い物となった。練習を重ね、先輩に認められるようになってからは、クラブでDJ漬けの日々を過ごしたという。「モテたい」という当初の目標は、無事に果たせたのだろうか。

「実際……、モテましたね(笑)。妻と付き合うために、DJ姿を見せてカッコつけてましたしね。でも、モテる以上に、場の空気感を音楽で作れるという魅力のほうが大きかったです」。

自身を飽きっぽいと分析する河合さんが夢中になるには、“モテる”だけでは、難しかっただろう。河合さんにとって、初めて本気で打ち込めたこと、それがDJだった。大学卒業後、プロのDJを目指して活動することも考えたが、頭をかすめたのは親の存在だ。

「高い学費を出してまで大学に行かせてくれたし、浪人や留年もしていたので、卒業した途端に『俺、DJになる!』では、あまりに申し訳ないなと思って。まずは社会人として働こうと、アパレルセレクトショップに就職しました」。

 

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大手商社から脱サラ。34歳でフリーのDJに

もともと洋服が好きだったこともあり、仕事は順調だった。店長を任されるまでになり、その後、大手商社に転職。アウトドアブランドのPRを任された。しかし忙しいサラリーマン生活のなかでも、DJは常に、河合さんの生活の一部だった。

「会社に大きなレコードバッグを持っていって、退社したらそのままクラブへ行き、DJをしていました。週末もDJばかりやっていましたね。当時は趣味の一環ではあったけど、20歳で始めてからターンテーブルから離れていた時期ってほとんどないと思う」。

しかし、30代前半となり、社会の仕組みがある程度理解できたうえで、今後の人生をどう生きていくべきかを真剣に考えた結果、大学卒業時に思い描いていたプロのDJへの夢が湧き上がってきたという。仕事か、DJか、人生の選択に悩んだ結果、社会人になって8年、河合さんは34歳で、DJ一本で生きていくことを決意する。

「まだ妻と結婚して4年とかで、茅ヶ崎に一戸建てを購入したばかりの頃だったので、説得するのは時間がかかりました。周りからもクレイジーすぎると言われて、心配をかけましたね」。

現在はヨガインストラクターとして河合さんのDJイベントに同行することもあるという妻。最初は反対していたものの、今はすっかり応援してくれているという。そんな妻の存在も河合さんの支えになっているようだ。

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DIYハイエースで全国を巡るDJに

毎月決まった仕事がある訳ではなく、今後の収入の保証もないDJだけで生きていく。それは一見、無謀すぎるチャレンジに感じる。しかし、話を聞いていくと、河合さんはそのお茶目な人柄と行動力によって、周囲の協力を自然に仰げる魅力を持っていた。それは、現在、全国を共に旅するハイエースが、さまざまな人の協力を得て完成したというエピソードからも伺える。

「DJとして生きていくなら、いろいろなイベントを回るためにも絶対クルマは必要だなと思って、ちょうどクルマを探していたんです。そうしたら運良く、ハイエースを譲ってくれるという人が現れたので、飛びつきました」。

幸運にもクルマを譲り受け、各地のキャンプイベントを巡るうちに、車中泊に目覚めていったという河合さん。車中泊への熱い想いが募り、持ち前の行動力を発揮する。

「車中泊が大好きなので、何か一緒にやらせてください! と、車中泊の専門誌『カーネル』に自分で企画を持っていきました。それが無事通って、『河合桂馬のDIY VANLIFE』っていう連載を持たせてもらえたんです」。

毎回、連載の中で講師の協力のもと、ハイエースの改造を重ねた。おかげですっかり快適な車中泊を実現できるマイカーが完成したというわけだ。

「自分のやりたいことや好きなことで、お金が貰える流れに自然となっていく運の良さには自信があります」。

そう言ってにやりと笑う河合さん。その大胆な行動と感謝の気持ちが、自然と協力者を引き寄せるのだろう。とはいえ独立当初はフリーのDJとして働くことに、少なからず不安も感じていたという。

「正直言えば、はじめは毎日不安でしたね。今は毎日楽しいので、不安に意識を向けるよりも、いただいた仕事に全力を尽くすことで、また新たな道が開かれていくと信じてやっています」。

年月とともに、DJの在り方も変わってきた。DJを始めた16年前はレコードを回すのが当たり前だったけれど、最近はスマホやパソコン1つでDJをすることもできる。時代の変化のおかげで車中泊をしながら、長年の夢だったDJの仕事ができている。そして、会社員時代という遠回りがあったからこそ、今こうして「好き」を仕事にできていると河合さんは言う。

「もし大学を卒業した勢いでDJになっていたら、なんの社会性もないし、常識も礼儀も知らなかった。今のように取引先とやり取りしたり、ギャラ交渉やスケジュール管理も、スムーズにできなかったはずです」。

回り道したぶんだけ、自信もついたし、助けてくれる人も増えた。好きを突き詰めるのに年齢は関係ないのだ。そんな河合さんの今後の夢はなんだろう。

「海外に移住して、DJやりたいですね。自分が一番好きな、ハウスミュージックのシーンが成熟しているヨーロッパでプレイしたい。例えば、スペインのイビサとかね。そういうところでDJできたら最高ですよね」。

最後に、世界のトップDJのギャラは、一晩1000万クラスだと、こそっと教えてくれた。愛車のハイエースと共に、大きな夢に向かって、河合さんは走り出したばかりだ。

 

藤野ゆり(清談社)=取材・文

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