連載「37.5歳の人生スナップ」
人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。
「毎日違う場所で目が覚めるので、あれ? 今日はどこにいるんだっけ? って、わからなくなる日もあります(笑)」。
そう話すのは全国各地で開催される野外フェスやイベントでDJとして活動する、河合桂馬さん(36歳)だ。
「先週は長野にいて、その前は広島、滋賀……そして来週は沖縄へ行きます。ひさしぶりに東京へ来ましたけど、あったかいですね」。
旅の相棒は、河合さん自慢の愛車、4代目ハイエース。自らペイントを施したハイエースには、ベッドやサブバッテリーが備え付けられており、河合さんは1年のほとんどを車中で寝泊まりする。AC電源も使用可能なため、お湯をわかしたり、ご飯を炊いたりもできる。
「一応、30歳のときに茅ヶ崎に一戸建てを購入したんですけど、自宅でゆっくり過ごすっていうのは基本的にほとんどないですね。クルマ生活ってキツくないの? と言われるけど、けっこう快適に過ごせるんですよ」。
そう言って、ほがらかに笑う河合さんだが、元々DJ一本で生きてきたわけではない。大手商社を脱サラ後、DJとして全国各地を放浪……そこに至るまでには一体、どんなストーリーがあったのか。
始めた理由は「モテたいから」。
DJとの出会いは、大学時代だった。バイト先の先輩がクラブでDJをやっている姿を初めて見たとき、衝撃を受けた。
「なんだあれ、かっこいい!って。始めた理由は、モテたかったからっていう、すごく単純なものです(笑)。奨学金から費用を捻出して、ターンテーブルを買ったところからスタートしました」。
20歳の河合さんにとって、10万円のターンテーブルは、とても高価で、忘れられない買い物となった。練習を重ね、先輩に認められるようになってからは、クラブでDJ漬けの日々を過ごしたという。「モテたい」という当初の目標は、無事に果たせたのだろうか。
「実際……、モテましたね(笑)。妻と付き合うために、DJ姿を見せてカッコつけてましたしね。でも、モテる以上に、場の空気感を音楽で作れるという魅力のほうが大きかったです」。
自身を飽きっぽいと分析する河合さんが夢中になるには、“モテる”だけでは、難しかっただろう。河合さんにとって、初めて本気で打ち込めたこと、それがDJだった。大学卒業後、プロのDJを目指して活動することも考えたが、頭をかすめたのは親の存在だ。
「高い学費を出してまで大学に行かせてくれたし、浪人や留年もしていたので、卒業した途端に『俺、DJになる!』では、あまりに申し訳ないなと思って。まずは社会人として働こうと、アパレルセレクトショップに就職しました」。
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