37.5歳の人生スナップ Vol.28
2018.11.12
LIFE STYLE

無職から一転。40代で鍼灸師になった男が証明する、挑戦の素晴らしさ

連載「37.5歳の人生スナップ」
人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。

「37歳でニートになったときは、これから人生どうしようと思った」。

そう笑うのは、現在プログラマーとして働く傍ら、自宅で鍼灸サロンを経営する伊藤 潤さんだ(49歳)。

「鍼灸師をやっている、と言うと『それ、お金になるの?』と言われます。でも僕はそういうお金第一主義の世界にいたくないから鍼灸を選んだようなもの」。

中野駅から徒歩数分、駅前の喧騒から少し離れたところに伊藤さんの鍼灸院「REN」はある。基本的な鍼灸施術のほか、美顔鍼やびわの葉鍼灸など、本格的な施術の数々をマンツーマンのプライベート空間で受けられるとあって、じわじわと顧客を増やしているようだ。

「基本的に平日はアルバイトでプログラマーの仕事をしているんですが、社長のご厚意で、鍼灸の予約が入ったらそっちを優先していいと言われています。そのぶん、仕事は自宅に持ち帰ったりしますが」。

予約が入れば、会社を中抜けしてサロンで施術を行い、また出社することも。そんな自由な働き方をしている伊藤さんだが、鍼灸師の国家資格を取得したのは、なんと47歳のとき。サロン自体も今年の7月にオープンしたばかりだ。37歳で一時はニートになった伊藤さんは、どのような経緯でプログラマーと鍼灸師という二足のわらじを履くことになったのだろう。

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過労で情緒不安定……ストレス発散法はお金だった

20代、30代の頃は長年IT関係の仕事に従事していた。

「ちょうどウィンドウズ95が出たばかりの時代。技術を身に着けたくて、IT業界に入りました」。

派遣社員として誰もが知る大手企業に派遣され、ネットワークシステムや設計のアシスタントの職についた。まだITベンチャーという言葉すらない時代。働きながら学ぶような感覚だったという。

「派遣社員を経て、25歳ぐらいのときに好奇心からITベンチャーに入社しました。プログラムの仕事は楽しいなんてもんじゃなかった。自分より若い人に、叱責される日々です(笑)。土日も平気で会社から電話がかかってくるし、3カ月で休みがたったの1日という時期もありました」。

今であれば100%問題になるような働き方が、当時は平然とまかり通っていた。過労で情緒不安定になり、スタッフ同士で殴り合いの喧嘩をしたこともあったという。当時のストレス解消法は、お金の力に頼ること。ブランド物で身を固め、朝まで飲み続けるなど無茶をすることも少なくなかった。

「独身貴族だったし、やりたい放題。辛さをお金で埋めてたというか、ストレスのはけ口がお金を使うことしかなかった。だからそれなりに稼いでいたんですけど、全然お金は貯まらなかったですね(笑)」。

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仕事にやりがいを感じ始めた矢先、突如ニートに……。

IT業界の黎明期からバブル期まで経験した伊藤さんが、37歳でニートになったのは、自身が長年携わっていた「仕事」を見直すタイミングに入ったからだ。

「当時、勤務していたベンチャー企業で制作したシステムが、年間億レベルの収益を生み出す大掛かりなものだった。たぶんプログラマーとしては1番、仕事にやりがいを感じていた時期でした」。

しかし結局その事業は、競合他社との競争のなかでボツになり、会社そのものもクビになってしまった。37歳、仕事に熱意を感じ始めた矢先の、突然の失職だった。

「自分が期待をかけていたプロジェクトだっただけに喪失感も強くて、1年ぐらい抜け殻みたいになってしまいました。中野の自宅で、ずっと引きこもってましたね。ニートで引きこもりで……人生どうしようって感じです」。

1年間の引きこもり生活。焦燥感に襲われ、再度プログラマーとして派遣で働き始めたものの、給与は以前の半分以下に。しかしそれ以上に、新たな職場での人間関係に辟易したという。

「新しく入った会社は、定期的にスタッフ同士で飲み会やったり、交流会したりっていうのが、嘘くさいと思って馴染めなかったんです。僕が辞めるってなったときも一度も話したコトない人が集まって送別会して、色紙くれるんですよ」。

俗にいう「意識高い系」の会社と言えるだろうか。形式的なふれあいやコミュニティに嫌気がさした伊藤さんは、仕事を辞め、実家に戻った。

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40代で飛び込んだ専門学校と鍼灸の世界

40代にして再び無職になってしまった伊藤さん。そこで目指したのが、これまでの仕事と180度方向性の異なる「鍼灸師」だ。鍼灸師とは、国家資格である「はり師」と「きゅう師」を有する人のこと。全身360カ所以上も存在する経穴(けいけつ)と呼ばれる「ツボ」を刺激し、病気の予防や改善など自然治癒力を高める仕事だ。

「母親の影響で、鍼には興味があったんです。たぶん、もっと体でふれあうような本質的なコミュニケーションを求めていたんだと思います。上辺じゃない、本気の対話ができる仕事をしたかった」。

20代、30代、がむしゃらにIT業界で働きながら常につきまとったのは、目的が「お金」になってしまっていることの虚しさだった。「お金」を目的にしない仕事として、鍼灸師になる。そう決めてからは早かった。東京の専門学校に入学し、専門学生としての3年間が始まった。

「僕、高卒だし、当時まじめに授業も受けていなかったから、その頃のやり直しをしよう、ってすごく前向きにとらえていました。率先して授業の準備や校内誌の編集係をやって、学生生活を楽しみましたよ」。

とはいえ、授業は10時から15時までみっちり。実技以外にも、医学的な知識も求められる鍼灸師。授業後は2時間自主トレーニングの時間に当てるなど、楽しいことばかりではなかった。おまけに学費は3年間で4年制の私立大学に匹敵するほど。生徒のなかには脱サラ組や家族の介護のために手に職をつけたい人など、さまざまな事情や決意を持って入学した人ばかりだったという。

「1番キツかったのは、本気で勉強しても成績が一向に上がらなかったとき。年齢を重ねたせいか、頭が硬くなってしまっていて、なかなか素直に軌道修正できなかった」。

進級テストに受からなければ卒業できない専門学校。特に3年目は国家試験合格に向けて、猛勉強を重ねた。無事に鍼灸師の国家資格を取得した現在、伊藤さんはどんな目標を持っているのだろうか。

「いずれは鍼灸師だけの収入で生活ができるようになるのが夢。資格を取得して満足ではなくて、受かってからどう行動するかが大切だと思っています。道のりは長いけど自分のやりたいことを、やっと見つけられました」。

40代で学び直し、手に職をつける。一見、無謀なことのようにも思えるが、いくつになっても挑戦は遅くない。

「お客さんの悩みを解消できるのがうれしいんです」……以前はブランドもので身を固めていた伊藤さんが、すっかりカジュアルでラフな服装に身を包み、穏やかな笑顔を見せているのが、なによりその証拠だ。


藤野ゆり(清談社)=取材・文

# 37.5歳の人生スナップ# 学び直し# 鍼灸師
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