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2018.10.06

ライフ

天才パン職人・杉窪章匡が抱く、ユニークで真っ当な世界平和の野望


OCEANS’s PEOPLE ―第二の人生を歩む男たち―
人生の道筋は1本ではない。志半ばで挫折したり、やりたいことを見つけたり。これまで歩んできた仕事を捨て、新たな活路を見いだした男たちの、志と背景、努力と苦悩の物語に耳を傾けよう。『365日』は、東京都渋谷区の私鉄沿線にある人気のパン屋さん。特筆すべきは「世界一である」という点だ。ギネスブックには載っていない。だが店主の杉窪章匡はサラリと言う。「僕のルールでは世界一です」。
杉窪章匡のインタビューを最初から読む

自分の店を開くために足りなかったもの

20歳のときに想定したビジョンでは、独立するのは30歳の予定だったという。現実にはそれが10年遅れた。その10年の半分以上を、杉窪さんは最後に在籍した有名ブーランジュリーで過ごした。
あ、ちなみに独立後の黒字化は、お釣りが出るほど余裕で達成できたというけれど。
「独立が遅くなったのは、まず自己資金がなかったから。でもそれよりも、部下をきちんとコントロールする術を完全にはマスターできていなかったから。自分自身をコントロールすることはできたし、部下をコントロールする方法も理解はできていました。シンプルに言うと、絶対的な味覚と絶対的な知識と平均点以上の技術を持ったシェフなら、下はついてこざるを得ない」。
誰よりも真摯に、そして自覚的に20年修行してきた。そのなかで獲得してきたロジックだ。リーダーとしての資質は「あいさつ運動」に反対していた小学生のころから備わっている。
「わかってはいたんですけど、実際に現場をまとめて円滑な職場の環境を作るには“力づく”しかなかったんです」。
10代の頃に目の当たりにして嫌気がさした、飲食業界のパワハラ体質と、修行の名の下に、過酷な労働条件を強いるブラックな態勢をなんとか排除しようとしていた。
「僕のなかのテーマとしては、週休2日というものもありましたからね。そのためには効率よくスタッフが動く必要がある。力づくではなく、きちんとみんなが理解したうえで仕事をしてくれるような環境を作らないといけないと思っていたんです」。

そんな職場を作るために最後まで欠けていたピースが「自らがどうやって仕事に取り組んできたか」を言語化する作業だったという。
お菓子の世界に入ったとき、杉窪さんは圧倒的なモチベーションを持ち、先輩たちとの人間関係をポジティブに解釈し、確固たるビジョンに基づいて修行に取り組んできた。彼自身はそんなスタンスを最初「当たり前じゃん」と思っていた。……職人の家系に生まれ育ったのだから。修行とはそういうものなのだと。でもそんな性質を備えている人はほとんどいない、ということを理解し、自分にとって当たり前だったことを、どうスタッフたちに伝えるか。
最後に雇われたブーランジュリーで、そこのところの仕上げがうまくいったのだ。そしてもろもろのタイミングが合致し、2013年9月に「安全、自然、公平な食と生活をプロデュースする」というコンセプトの「ウルトラキッチン」を設立し、独立。
名古屋に「テーラ・テール」、福岡「ブルージャム」、神奈川・向ヶ丘遊園「セテュヌ ボンニデー」……3軒のパン屋さんをプロデュース後、同じ年の12月に「365日」をオープン。これが自身の初めての店となった。
どんなお店ができたかは、インタビューの第1回を参照いただきたい。


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