37.5歳の人生スナップ Vol.14
2018.08.08
LIFE STYLE

ガンと闘いながら夢を追いかける男、宇留野純(37)の後悔しない生き方【前編】


「なんであんなに真剣にプレーしているんだろう」。

小雨交じりの平日の夜に、仲間に誘われて参加したフットサル。顔見知りの猛者もいるとはいえ、筆者のようなエンジョイプレイヤーも混じるフットサル場で、ひとりだけ鬼気迫る表情でプレーし、明らかにほかとは違うオーラを放つ男がいた。

しばらくの間、自分の出番を待ちながら、ピッチの脇でその男のプレーを目で追っていると、筆者の耳元で、友人が囁いた。

「あの人、元Jリーガーの宇留野純だよ」。

そう言われて、もちろん、納得した。うまい。とにかくうまい。聞くところによると、ヴァンフォーレ甲府やロアッソ熊本などに在籍し、現在はサッカー指導者として活躍しているのだそうだ。

筆者は、このとき、宇留野純という人物のことをまったく知らなかったが、不思議なことに、彼がプレーしている姿に、うまさとは別の何かを感じた。うまいだけじゃない、何か。

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若き日の栄光と挫折

宇留野は、学生時代、中学3年のときに全国制覇、高校2年のときに、ひとつ上の学年の中村俊輔(現ジュビロ磐田)らとともに全国選手権で準優勝を果たすなど、サッカー選手としては素晴らしいキャリアを歩んできた。

当然、Jリーグクラブのスカウト担当の目に晒されていたはずだが、高校を卒業するときの宇留野に、Jリーグクラブから誘いの声がかかることはなかった。

もちろん、当時はJ2やJ3がなかったという背景はあるが、いずれにせよ、Jリーガーになるという夢をかなえることができなかった宇留野は、当時、Jリーグに準加盟し、プロ化への移行を進めていた本田技研工業サッカー部に社員選手として入団することを決める。

近いうちにチームがプロ化し、Jリーグへの加盟が決まり、自身もJリーガーになるというのが、当時の宇留野が描いていた未来だった。自分の夢を実現するために、いちばんの近道だと信じての選択だった。

だが、宇留野が入団を決めて程なく、本田技研工業サッカー部はJリーグ参加を断念する。宇留野が頭の中のキャンバスに描いていた未来は、あっさりと白紙に戻された。

宇留野は、入団後すぐにサッカー選手としての壁にぶつかる。試合に出られないどころか、遠征にも帯同できない、紅白戦にすら出場できない、そんな苦しい日々が続いた。

当時、本田技研工業サッカー部でコーチを務めていた長沢徹(現ファジアーノ岡山の監督)とともに始めた居残り練習を繰り返しながら、自分の課題をひとつずつクリアしていき、入団3年目のシーズンに、ようやく、チームの主力としてプレーできるようになった。

こうして、ひとつずつ階段を登っていった宇留野だが、どんな人間にとっても、慣れとは怖いものだ。宇留野にとって、大企業の素晴らしい環境の中でプレーしていることが、いつしか「当たり前」になっていった。そして、宇留野からは、次第に、貪欲にサッカーに取り組む姿勢が失われていく。

「口では“いつかJリーガーに”なんて言ってましたけど、今考えれば、行動は伴っていなかった」。

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宇留野を突然襲った病

そんな宇留野に転機が訪れたのは2005年1月だった。練習中、下腹部に経験したことのない激しい痛みを覚え、病院に行くと、精巣腫瘍(ガン)と診断されたのだ。あまりに突然のガン宣告だったが、病への知識がなかったため、わけもわからず、医師の言うがままに、すぐさまガンの摘出手術を受けた。

術後、医師から病状や今後の治療についての説明をされたとき、宇留野は、初めて事の重大さに気付く。手術自体は成功したが、摘出した精巣は破れており、転移の可能性が高いことを伝えられるとともに、抗がん剤治療を強く勧められた。このとき、宇留野の頭に、真っ先に浮かんだ疑問。

「サッカーは続けられるのか」。

当時のことを、宇留野は淡々とこう振り返る。

「病気に関する知識が一切なかったから、本当にわけもわからず、医師の言うがままに手術していました。手術が終わってガンの摘出手術を受けたあとは、リハビリして、すぐにチームに戻れると思っていたんです。

「でも、術後に医師から説明を受けると、転移の可能性があるから、抗がん剤治療を受けたほうが良いと言われました。しかも俺の症状の場合、治療には強い副作用が伴うとのことで、このままではサッカーを続けることはできなくなることも知りました。

ちょうどその頃は、少しサッカーに対して貪欲さをなくしていたというか、気持ちに緩みが出ていた時期だったんです。

だから、サッカーが続けられないかもしれないっていう状況に直面したら、“なんでもっと、若い頃のように真剣に取り組まなかったんだろう”っていう後悔の念が一気に押し寄せてきました」。

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掴みかけた夢

実は、ガンが発見される数日前、宇留野の元には、Jリーグのクラブからオファーが届いていた。Jリーガーになるという夢を目前にしながら、病を理由に辞退せざるを得なかった。

ここでさらに、抗がん剤治療を行うことになれば、それはすなわち、引退勧告を受け入れることであり、自ら描き続け、掴みかけた夢を諦めることを意味する。

転移の可能性があることは受け入れても、サッカーをやめることだけは受け入れることができないと気づいた宇留野は、自らのサッカーへの強い想いを医師に伝える。すると、いくつかの条件付きで、サッカーを続けることを許可された。

その条件とは、月2度の腫瘍マーカー検査を受けること、腫瘍マーカー検査の数値が上がり、転移の可能性が高いと見なされれば、即、抗がん剤治療に移ることだった。引退と隣り合わせの状況で、宇留野は再びサッカーの世界に戻った。

後編に続く。


瀬川泰祐=写真・取材・文

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