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2018.06.16

ライフ

クリケット転向の木村昇吾が、野球時代を振り返って思うこと


OCEANS’s PEOPLE ―第二の人生を歩む男たち― Vol.3
人生の道筋は1本ではない。志半ばで挫折したり、やりたいことを見つけたり。これまで歩んできた仕事を捨て、新たな活路を見いだした男たちの、志と背景、努力と苦悩の物語に耳を傾けよう。元プロ野球選手・木村昇吾は、なぜクリケットに転向し、世界を目指しているのか。その第3回。


木村昇吾のインタビューを最初から読む

今の職業に就こうと思ったのはいつですか?
何かきっかけはありましたか?

果たしてみなさんはどうだろう。幼い日の思い出や、就活中の出来事などが脳内をかけ巡っているのではないだろうか。

だがこの質問、どうやらプロ野球選手に対しては、してはならない類のものなのかもしれない。というのも、木村昇吾の答えは「最初から」「なって当たり前と思ってた」だったから。



 

■「なって当たり前」のヤツが集まるのがプロ野球


大阪に生まれ、小学1年生の時に「大阪クーガース」に入って二塁を守る。翌年からはもう高学年に混じって練習していたという。

「自分何年? オレ2ねーんって(笑)。すごく生意気だったと思います。プロ野球選手には、なれるとかなりたいとかじゃないんですよ。“なって当たり前”。だって投げたら抑えられるし、バッターボックス入ったら打てるし。できちゃうんですよ。ホームランの世界記録つくるとか思ってました。小学校の卒業文集には“10億円プレーヤーになる”って書いてましたよ」

子供ってそういうこと言いがちなのである。「ですよね?」と、微笑んで同意を求めたら、木村は真顔で首を振った。

「それって別に何もすごいことじゃないんですよ。同級生で卒業文集に“100億円プレーヤーになる”って書いた彼もいましたから。そいつはのちに本当に100億円稼ぎましたからね……松坂大輔です」。

「僕の話を聞いて“いやいや、世界記録って(笑)”“100億円って(笑)”って思われたかもしれないですけど、プロ野球に行くようなやつはみんなそうなんです。そんな人たちの集まりなんです。僕だってまったく気負うことなく、甲子園は通過点、プロになったらどこまで飛躍してやろうって考えてましたもん。頭のネジが1本2本外れてると思われるかもしれないけど、それだけ普通じゃない世界なんです」。



そういうヤツじゃないと活躍できないと木村は力説する。そして木村自身も、見事にそういうヤツだった。1980年生まれ、いわゆる「松坂世代」。この年代にはなぜか秀でた選手が多く、90人以上のプロ野球選手を輩出した。

甲子園に出場してプロになるという未来を現実のものにするために、木村は香川県の尽誠学園高校へ進学。3年の夏には甲子園に出場。2回戦で久保康友(阪神→DeNA)を擁する関大一高に敗れた。

子供のころは地域のチームで無双だったかもしれないが、学年が上がるにつれ世界は広がって「上には上がいる」と知ることになる。「プロ野球選手になって当たり前」という確信が揺らいだことはなかったのだろうか。そうたずねると、木村は「ないです」と即答した。
このあと愛知学院大学を経て、5年後にプロ入りを果たすことになる。



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