OCEANS’ PEOPLE ―第二の人生を歩む男たち― Vol.4
2018.06.09
LIFE STYLE

「100%アスリートでいたい」クリケットに転向した木村昇吾の思い

OCEANS’s PEOPLE ―第二の人生を歩む男たち― Vol.2
人生の道筋は1本ではない。志半ばで挫折したり、やりたいことを見つけたり。これまで歩んできた仕事を捨て、新たな活路を見いだした男たちの、志と背景、努力と苦悩の物語に耳を傾けよう。元プロ野球選手・木村昇吾は、なぜクリケットに転向し、世界を目指しているのか。その第2回。

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木村昇吾がクリケット選手に転身するきっかけになったのは、旧知のスポーツ紙記者・平尾類だった。木村とは同学年で、互いに人となりもよく知っていたという。

「元プロ野球選手を、クリケット選手に」という発想は、そもそも日本クリケット協会によるもの。協会側がプロ野球選手会に打診し、選手会のコンベンションで平尾に話が行った。

「そのときに平尾くんが“昇吾だったらやると思いますよ”って先方に言って。直接僕に電話してきたんです。その電話ですぐ“やるわ!”って答えたら、逆に“ちゃんと考えて”って。そっちが勧めてきてるのに、それはなんだと(笑)。一応持ち帰って家族と話してから決めることにしたんですけど、答えは決まってると思ってました」。

果たして、木村の妻の答えはやはり「面白そうじゃん!」。これは、木村自身がオファーの電話に対して「面白そう!」と答えたのと、まさに同じ気持ちだった。

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■全身全霊アスリートだった男が“兼任”になれるのか

「僕、アホみたいに野球が好きなんです。だから野球は続けたかった。さっきも言ったんですが、社会人野球さんとか独立リーグさんから“兼任コーチで”というオファーはいただきました。でも僕はこれまで、自分の“100%”を選手としてやりきることしかしてきていなかった。戦力外通告後のトライアウトのときにも、まだまだ選手としてできるという実感がありました」。

「そんな自分がコーチを兼任したらどうなるんだろう、と思ったんです。もし“膝が治ってないな”“衰えたな”って自分で思っていたら、迷わず兼任コーチに応じていたと思います。お金も必要ですし、これからも家族と一緒に生きていかなくてはならない。クリケット選手というのは、僕のアスリートとしてのスタンスを変えることなく取り組める対象だと思ったんです」

木村曰く「妻が心配していたのは、僕が別の仕事に就いたときにそれまで通りの熱意と想いを持って取り組めるかということだったみたいです。クリケットってすごく新しい世界だけど、アスリートとしての木村昇吾が求められている。今までのやりがいのままでできるんだったら“面白そうじゃん!” って」。

木村昇吾は今、クリケットという新たな競技にアスリートとしての100%をぶつけることを楽しんでいる。まるでルーキーのようにモチベーションは高い。熱意もやりがいもある。だが、木村は取材中何度か繰り返した。

「娯楽じゃないですから」。

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■ゼロからのスタートで目指す世界

目標は、海外のプロリーグでプレーすること。これは“夢”ではない。荒唐無稽な男のロマンではないのだ。具体的に、そしてできるだけ早く達成すべきミッションなのである。もっとシンプルに言うと、木村にも家族にも生活がある。

「今は『チーム昇吾』を組んでもらって、これで活動しています。チームの中心に置く目標が“木村昇吾がクリケットの魅力を発信し、海外で活躍する”というもの。そこには、クリケットというスポーツを日本に普及させる目的もあります。実行するのは僕です。日本クリケット協会事務局長の宮地直樹さんが競技側の面倒を見てくれて、僕を推薦してくれた平尾(類)くんがメディア対応、さらに、スポーツチームのプロモーションなども手掛けるコンサルタントの川内健吾さんの4人によるチームで活動方針を立てて、今、具体的に動いているんです」。

チームが具体化したのは今年1月半ば。宮地と川内が協力して、木村の海外チーム視察のセッティングなどを仕込み、平尾はさまざまな媒体の取材窓口を担当している。

日本のクリケットの競技人口は、4000人に満たないという。日本クリケット協会は栃木県佐野市を基盤に、商工会議所や地元企業と協力してこの町をクリケットの町にしようとしている。今や市の地域活性化プロジェクトとして、国の地方創生推進交付金事業に採択されている。渡良瀬川の河川敷にはいくつものクリケット競技場ができ、今年に入って閉鎖された高校を利用した国際規格のグラウンドも生まれた。日本のリーグ戦の大半の試合や日本代表合宿は栃木県佐野市で行われている。ちなみに東京都では昭島市が盛んだ。

「昭島市の中学校で体育の授業にクリケットを採用するよう推進しているようです。でも、何もないところからのスタートなんですよ。佐野の国際規格のグラウンド……ご覧になって“これが?”って思いませんでした? 正直、僕はそう思いました。だってプロ野球のグラウンドを知ってるから。とにかく土壌が違いすぎるんです」。

「裾野を広げるも何も、そもそも裾野がない。それを広めようとする人の努力って、プロ野球とはまったく違います。何かしようとするとすぐに代理店が動いてスポンサーがついて、ビジネスになるプロ野球に対し、クリケットは今、小さいところから声をかけて“一緒にやってもらえませんか?”ってお願いする立場なんです」。

悲観しているのではない。自身の今の立ち位置を冷静に把握しているのだ。チームのみんながそれぞれの得意分野で実力を発揮し、協会が普及に注力するなかで、木村のなすべきことはひとつ。クリケット選手として、ともかく世界に通用する力を磨いていくこと。ひいてはそれがクリケット普及のための最大の貢献となる。

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■自分自身の現在位置を知るために

5月上旬にはインドプレミアリーグの視察に行った。今年はさらにスリランカも視察。インタビューが行われたのは出発の前日だったが、ピラミッドすら形成されていない日本ではなく、クリケットを生業としているプロたちの現実を見ることで、「もしこの場に自分を当てはめたらどんなプレーができるだろうか」ということをリアルに感じ取りに行くのだという。

「それで、遅くとも9月までには海外に武者修行に行く予定です。向こうでは10月ごろからリーグが始まるので、そこで実際にプレーをしたいんです。開幕前には向こうに行って“自分がこれだけのプレーができるんだ”ということを見せなきゃならない。僕に今、圧倒的に足りないのはクリケットの経験値ですよね。前は毎日毎日、何十年も野球をやってきてたから。今の状況だとそれがない。うまくなるためには経験をどんどん積んでいきたいんです。それは環境として日本だと厳しいんで、なるべく早く向こうに行きたいと思っています」。

昨秋、西武ライオンズの退団が決まり、約1年でクリケットの“世界”の入口に足がかかっている。世界は夢ではなく、現実。「いずれは」ではなく「すぐにでも」達成すべき目標なのだ。「すごいっすね」とつぶやくと、木村は苛立ったように答えた。

「だって娯楽じゃないですから。生活かかってますから。今、僕、クリケットは無償でやっているんです。どこからお金が出ます?(笑) 真剣ですよ。悠長なことを言ってるわけにはいきません。まだまだアスリートとしての自分の力を活かせる土壌があるなら、とことん攻めていかないと。待ってても何も始まりません。最初はもの珍しさで色々な人が目を向けてくれますけど、勝負はここからですよ。ひとりではできないから『チーム昇吾』を結成してもらえた。本当にありがたいと思っています」。

国際規格のグラウンドができ、日本代表のユニフォームには胸スポンサーもついた。川内が折衝して獲得した国内外で活動するデザイン会社だ。少しずつ日本のクリケット事情にも変化が訪れている。

「このタイミングで、プロ野球選手だった僕がクリケットをやるということで、たぶんこれまでのどの時期よりも注目されていると思うんです。だからこそ悠長なことはしていられません。年齢も38になりました。でも、きちんと動くようメンテナンスしています。時間もないしどんどん攻めてクリケットを追求していきたい」。

そういう思いじゃないとプロ野球にもクリケットにも失礼だ、と木村は言う。

「プロ野球選手だったというプライドはもちろんあります。でもそれは振りかざすものではないし、すがるものでもない。僕自身はクリケットを今やっている方たちの想いも背負っているつもりです。僕がとにかく頑張って世界で活躍すれば、この競技は今よりもっと知られることになると思うから」。

「それと同時に、プロ野球界のことも背負ってるつもりなんです。だって元プロ野球選手でクリケットに来た人間って僕ひとりなんですよ。野球のことが大好きで、これまで30何年やってきて、プロになった男が、鳴かず飛ばずだったら、きっと間違いなく“あ、プロ野球選手ってそんなもんなんや?”って言われてしまいます。それはあまりに悔しいです」。

クリケットのオファーを聞いたとき、それまでイメージしていたかを尋ねると首を振った。「ただ、面白そうだと思ったんです」という。だがプレーし始めて思った。

「日本のプロ野球って、とんでもない、とてつもない世界じゃないですか。そこでずっとやってきた人間が、そのスキルを活かせる他のことをやってできないわけがない……プロ野球界はそう思ってると思います。“とんでもない身体能力を持つ人間のピラミッドの頂点にいる人間が集まって淘汰されて残った人たち”っていうのが世間の認識でしょ? できて当然と周りは思うじゃないですか」。

そして木村昇吾は、野球とプロ野球への思いを語る。

第3回へ続く。

【Profile】
木村昇吾
1980年4月16日生まれ。大阪府出身。尽誠学園高、愛知学院大を経て、2002年ドラフト11巡目で横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。’08年に広島へ移籍。内外野を守れるユーティリティープレーヤーとして活躍。’16年より西武ライオンズ。同年、右十字靭帯断裂。翌年10月に戦力外通告を受ける。現在、クリケット選手。2018年1月より本格始動し、わずか2カ月で日本代表に選出。

武田篤典=取材・文 稲田 平=撮影

# OCEANS’s PEOPLE# クリケット# 木村昇吾
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