OCEANS’ PEOPLE ―第二の人生を歩む男たち― Vol.1
2018.06.06
LIFE STYLE

元プロ野球選手・木村昇吾がクリケットを志した意外な理由

OCEANS’s PEOPLE ―第二の人生を歩む男たち― Vol.1
人生の道筋は1本ではない。志半ばで挫折したり、やりたいことを見つけたり。これまで歩んできた仕事を捨て、新たな活路を見いだした男たちの、志と背景、努力と苦悩の物語に耳を傾けよう。元プロ野球選手・木村昇吾は、なぜクリケットに転向し、世界を目指しているのか。その第1回。

木村昇吾をご存じか。昨年、西武ライオンズを退団した元プロ野球選手である。野球にまつわる質問をすると「野球、アホみたいに好きっすから!」と臆面もなくいう。だが彼は今、クリケット選手である。

プロ入りしたのは2003年。前年度のドラフト会議で横浜ベイスターズ(当時)に、11巡目に指名された。2008年から8年間広島カープでプレーし、2016年西武ライオンズに移籍。強肩俊足、堅い守備力を誇り、内外野すべてのポジションをこなし、「やれと言われれば、キャッチャーもピッチャーもできましたよ」と、本人はいう。

超のつくユーティリティープレーヤーとして重宝されてきた。そんな彼の、2018年の日々はこんな感じである。

「ほぼ毎週、土日どちらかに試合があります。月曜と水曜の夜には、室内練習場でクリケットの練習。クリケットをやってる何人かとあたま割りで場所を借りてやってます。あとはジムに行ったり。それと、2年前に右ひざの十字靭帯やったので、そのケアとメンテナンスのために毎週金曜日は膝の病院に通っています」。

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■クリケットとはいかなるスポーツか

そもそもみなさん、クリケットというスポーツをご存じか。英国に古来から伝わる競技で、国際規格のフィールドは横が約140m、縦が約130mの楕円形。その中央に「ボウラー」(要は野球におけるピッチャーだ)と「ストライカー」(バッターですね)が対峙し、ボールを投げて打つ。

ボールはコルクを芯にウールや皮を巻きつけた非常に硬いもの。バットはボートのオールみたいにグリップが細く、先端が平たく広がっている。

フィールドの中央には20.12m離れて2基の「ウィケット」と呼ばれる装置が置かれている。上の写真のストライカーの後ろに見えるのがそれ、球を投げるボウラーの側にももう1基ある。本来はこの3本柱の上に、小さな板を1枚横たえてある。

この3本柱にボールを当てて、その板を落とすのが守備側の目的。攻撃側は板を落とされないように、ボールを打ち返すのだ。打ち返してボールがフィールド内を転々としているあいだ、ストライカーは、対面して待機している相方のノンストライカーと共に2基のウィケットのあいだを走る。

ふたりが向かい側のウィケットまで到達すれば1点獲得。ボールが返ってくるまで何往復でもできる。攻撃側がウィケットのところに到達するまでに、ウィケットを倒せばアウト。打者交代となる。細かいルールは割愛するが、野球はスリーアウトで攻守交代、9回まで戦うのに対し、クリケットの場合は10アウトか規定の投球数を投げ終わるまで(ゲームの設定によって異なる)。攻撃は攻撃、守備は守備。いわば1回の表裏しかないという設定なのだ。あと、上の図は楕円形のフィールドの中央にあるので、前後左右360度どこに打っても構わない。

楕円形のフィールドの外周をゴロで越えれば「バウンダリー」。一挙に4点が入る。ライナーで越えれば「シックス」。文字通り6点獲得。

「野球で培ってきたスキルは基本、役に立つんですが、どの方向に打ってもいいのは、戸惑いますね。ファウルがない感覚にはなかなか慣れないです」

クリケットの競技人口は軽く1億越え。インドでは最もポピュラーなスポーツで、世界最高のインドプレミアリーグのトップレベルの選手は年俸30億円以上とも言われている。その他にクリケットが盛んな国々は、スリランカ、オーストラリア、ニュージーランドなどなど。

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■しかしそもそもクリケットって日本で“仕事”になるのか

木村は今、「ワイヴァーンズ」という早稲田大学を中心としたチームと共に練習や試合を行っている。現在38歳。プロ野球という“社会人経験”も15年ある。自ずと学生とはスタンスも違ってくる。

そしてクリケットは今、日本ではまだ一切マネタイズされていない。自ずと「海外のプロリーグでのプレー」を目指すことになる。

「今、日本でクリケットをやっている選手たちは、“小さなピラミッドの頂点にすら立っていない”と思うんです。学生のうちはサークル活動の延長でプレーできます。社会人になって、他のスポーツは社会人リーグなどのいわゆる“ノンプロ”の場合でも、ほぼその競技に従事することを仕事と認められています。毎日練習して、試合してお金がもらえる。クリケットはまだまだ無理です。社会人になると土日しかプレーできない。お金のことはもちろんですけど、そこからもしかしたら成長曲線がぐっと高まっていくかもしれないのに、現状は趣味とか娯楽の世界でしかない。仕事のない週末にやるしかないわけです」。

基本、誰も世界を目指していない。というか「クリケットを職業にする」という土壌がないのだ。それでも、そこでプレーしている人たちのクリケット経験は木村以上。

「僕は単に“元プロ野球選手”というだけです。教えてくれる方は先生だし、コーチです。僕なんかまだまだクリケットではペーペーなんですよ。だってクリケット歴たかだか数カ月ですからね。だから日々発見です。わからないことがあればものすごく素直に聞いてます。今は全部勉強」。

「それでね、僕今38歳なんですけど、毎日上手くなってることを実感するんですよ。このあいだ日本代表合宿に4日間参加したんですけど、そこでも“木村さん、この期間でめっちゃうまくなってますよ!”って言われて。野球を辞めてからそんな気持ちになれることなかなかなかったですよ。今はそれを純粋に楽しめてます」。

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■ずっとアスリートでいるために

木村は西武時代の2016年6月、右ひざ十字靭帯を断裂、以降のシーズンを棒に振った。膝のメインテナンスを行うのは、それ以来の習慣。

「膝にメス入れて工事をしているんです。怪我をした1年後には、自分では“ある程度できるレベルに戻った”っていう実感があったんですよ。ただ、できる“レベル”が違うんですよね。前に近いレベルでできているのか、ちょっと戻りきっていないのか、ずいぶん下がってしまったのか。傍目にはできてると見えても、僕的には全然できてなかったりもするんで……いや『全然』ということではないかな。できてるんだけど、その中でもランクがあって、僕的には“できていない”んですよね」。

それを「完全にできている」に近づけることには今も余念がない。プロのアスリート時代から、自身の身体のあり方とは非常にセンシティブに向き合い続けている。

「僕自身の考え方では、ケガしたからといって、元の状態に100%戻らないことはないと思っているんです。自分自身、元に戻ってきている実感はあります。ただケガした箇所を庇うのは普通にあります。その分、別のところにしわ寄せがきたり、ケガの前と同じようにできているつもりでも、無意識のうちに、そうじゃなかったりする」。

毎週毎週医師の診断を仰いで、少しずつ是正してきた。

故障の影響は、プロ野球選手時代から身にしみて知っている。前十字靭帯を断裂した年には西武から戦力外通告を受けた。自分では「やれるレベル」に戻ることを確信していたにもかかわらず、だ。

だが、自分でプロ野球選手として求める状態にはまだ戻せる実感があった。だから通告を乗り越えて、2017年シーズン、木村はチーム唯一の育成選手として3桁の背番号を背負ってプレーすることを選んだ。まだ現役選手として仕事ができるという自信があったからだ。

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彼は自分の身体が発する声に真摯に耳を傾ける。

「人間って、肉体がある機能を“使えない”と判断すると、積極的に使えなくするらしいんです。だから僕も右膝の前十字靭帯を切った後、右足と右のお尻の筋肉が本当になくなりました。風呂上がりに、娘が“お父さん、お尻がおかしくなってるよ”って指摘したぐらい目に見えて変わっていたんです。それを自分の身体に“大丈夫、使えるんだよ。できるんだよ”って体に思い起こさせる作業を続けることが大切なんです」。

「もうひとつ、自分では前と同じ通りにできているつもりでも、前とは違う箇所の筋肉を使ってそれを実践している可能性もあります。結果としては前と遜色ないプレーができているかもしれないけど、その中身が違っているかもしれない。結果、治った箇所とは違うところがダメになるかもしれない」。

己の体の状態と極めて真面目に向き合い、プレーを続けられる確信を持っていた、けれど木村はいう。

「自分の力を評価するのは自分じゃない。周りですから」。

そうして、2017年10月6日、西武ライオンズより2度目の戦力外通告を受ける、約1カ月後、マツダスタジアムで行われた12球団合同トライアウトに挑戦。7年というプロ最長の年月を過ごした広島での開催とあって、一層大きな拍手で迎えられたという。ショートのポジションまで全力疾走し、打者としてはライトフェンス直撃の二塁打を放って存在感を示した。

「今の自分の全部を見てもらいたかった。あれほどの拍手をもらったことは、本当に心強かったです。これは来年行けるな、“自分のやりたいレベルで現役続けられるぞ”と感じました」。

だが、1週間経っても木村の携帯電話は鳴ることはなかった。プロ野球からのオファーはなかったが、実は社会人野球や独立リーグから、コーチ兼任選手としての声がかかっていた。

トライアウト直後にオファーがなくとも、翌年の1月、2月に声がかかるチャンスが残されていることは経験上わかっていた。だが、2017年末、日本クリケット協会から声がかかったとき、最初の電話で木村は即答したという。

「やりますって言いました。だって、面白そうだったっすから!」。

もちろん、軽い気持ちではなかった。

第2回へ続く。

【Profile】
木村昇吾
1980年4月16日生まれ。大阪府出身。尽誠学園高、愛知学院大を経て、2002年ドラフト11巡目で横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。08年に広島へ移籍。内外野を守れるユーティリティープレーヤーとして活躍。16年より西武ライオンズ。同年、右十字靭帯断裂。翌年10月に戦力外通告を受ける。現在、クリケット選手。2018年1月より本格始動し、わずか2カ月で日本代表に選出。

武田篤典=取材・文 稲田 平=撮影

# OCEANS’s PEOPLE# クリケット# 木村昇吾
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