37.5歳の人生スナップ Vol.2
2018.05.09
LIFE STYLE

震災で気づいた会社の“違和感”。「主夫」として人生を切り拓いた男

連載「37.5歳の人生スナップ」
もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。

「37.5歳の人生スナップ」を最初から読む

「主夫」という生き方を選んだ男たち。今回は東日本大震災をきっかけに38歳で会社を辞めるという大きな決断をして、自宅で仕事をしながら子育てに家事と、充実した毎日を送る兼業主夫の登場だ。

娘が2歳になったとき、妻と話し合って仕事を辞めた

「まさか自分が主夫になるとは、思ってもいませんでした。今もその意識はそれほどありません。自分にとって生きやすい方法を探した結果、自然と『兼業主夫』という形に落ち着いたという感覚です」。

坪井博一さん(45歳)は、にこやかな笑顔を浮かべてそう語り始めた。ガッチリした体格に日焼けした浅黒い肌。外見だけ見ると、いわゆる「主夫」のイメージとはほど遠い男らしさだ。

そんな印象とは対照的に、「絵本の読み聞かせが好きなんです」と楽しそうに話す。坪井さんは仕事をしながら家事・育児を主体的に行う兼業主夫だ。家族は12年前に結婚した妻と、8歳と6歳になる娘2人。小学生になったことで、保育園の送り迎えがなくなり、「かなり朝が楽になりました」という。

「結婚したのは34歳のとき。妻と出会ったのは、趣味で通い始めたゴスペル教室でした。もう12年以上前の話です。当時、僕は法人向けカスタマーサービスの会社で派遣社員として働いていて、妻は建設会社の事務員。彼女は現在も同じ会社に勤務しています」(坪井さん、以下同)。

当時はまだ子供もなく、どこにでもいる共働き世帯だった。しかし、第一子が誕生したことで、坪井さんの中に変化が生じる。それまで以上にがむしゃらに働いたが、その生き方に疑問を感じ始めたのだ。

「最初こそ『子供も生まれたし、もっと仕事をがんばらないと』って思っていました。でも、仕事に追われて、子供と関わることができない。毎日残業で、終電で帰るのが当たり前。おまけに休日出勤まで命じられるようになった。それで子供が2歳になるころに嫁と話し合い、仕事を辞めたんです」。


東日本大震災で抱いた違和感。「家庭にいなくてもいい人にはなりたくない」

当時働いていた会社は、契約更新のたびに条件が悪くなっていくような労働環境だった。「もっと家族で過ごせる時間を増やしたい」。そう願う坪井さんは、妻を説得して仕事を辞め、自宅でパソコンを使って収入を得ることができるアフィリエイターへと転身した。

「一番大きかったのは東日本大震災です。あの日、なかなか家族と電話が繋がらなくて、心配だから帰りたいと会社に訴えたんです。ところが、上司は当たり前のように『終業まで待て』と、なかなか帰してくれなかった。会社は自分の家族よりも取引先の心配ばかりしていました。その光景を見て、強い違和感を覚えました。そして、我に返ったんです。この人たちは『家にいてもいなくてもいい人』になっている。自分はそうなりたくないと」。

家族よりも大切な仕事なんてあるのか? 強い疑問を感じた坪井さんは、震災から2カ月後に退職。そこからは一念発起して家族との時間を優先できる仕事を探した。そうしてたどり着いたのが自宅でできるアフィリエイトの仕事だ。

「妻には『半年だけ時間をくれ』と言いました。結果的に、新しい仕事が軌道に乗るまで1年かかってしまったのですが、それでも妻が僕を信じてくれたから、本気でがんばれたんだと思います。期間を区切ることで自分を奮い立たせました」。

朝、子供を保育園に送ると、ずっと自宅で作業する日々。夕食後もすぐにパソコンに向かって勉強した。失敗の連続で最初の2〜3カ月は、何をしても結果につながらなかったという。ちょうど半年くらいで芽が出始め、結果が伴ってきたのは1年後。ようやく派遣時代と同程度の収入を得られるようになった。

「挑戦といえるほどかっこいいものじゃない。満足できない現状から抜け出すために、死ぬ気でやるしかなかったんです」。

仕事を辞めたことへの後悔は微塵もない。坪井さんにとって、あのまま働き続けて、じわじわと「家庭にいなくてもいい人」になることのほうがよっぽど怖いことだったのだ。

NEXT PAGE /


気づいたら、「兼業主夫」に。家庭にはふたりの兼業主婦(夫)がいる

そうして手に入れた新しい生活。妻より坪井さんのほうが家にいる時間が長くなり、自然と家事・育児を行うことが増えていった。そうなる前の子供との関わりは遊ぶことのみ。育児の「いいとこどり」だったと坪井さんは振り返る。

以降、坪井さんの生活は、ふたりの娘の保育園の送り迎えに始まり、料理に洗濯、掃除と、家事・育児が中心となるスタイルに大きく変わった。

「妻が仕事から帰宅して料理するのを待つより、僕があらかじめ支度をしておいたほうが、子供も早く寝られるし、遊ぶ時間だって増える。家族にとって一番過ごしやすい形を考えた結果、それが習慣化された感じです。だから、人から『主夫だよね』と言われ、そこでようやく『そうか、俺って主夫なんだ!』と気づいたくらいです(笑)」。

妻も主婦業は好きで、やりたい派。「専業主夫にはならないでね」と釘も刺されている。だから、家の中にはふたりの兼業主夫(婦)がいる。そんな今の状態に落ち着いた。


ママたちの輪に自ら積極的に加わり「マパ友」に

仕事が軌道に乗ると、自然と家族と過ごす時間が増え、地域や学校の活動にも進んで参加するようになった。

多くの父親にとって、母親が中心となっている保育園や小学校の活動はなかなか関わりにくいに違いない。しかし、坪井さんはそんなコミュニティにも臆せずに入っていく。

「図々しいくらいにママさんたちの中に加わっています。性差はあるものの、ママたちの悩みや話していることはすごく理解できるので。子供を送り出すまでの朝の10分がいかに大きいかっていう話とか(笑)」。

今では、ママ友とパパ友の両方を兼ね備えているという意味で、坪井さんのことを「マパ友」と呼ぶ母親もいるそうだ。

兼業主夫として充実した毎日を送る坪井さんだが、満足はしていない。「まだまだやりたいことがたくさんある」と少年のように語る。

「兼業主夫になったことで、むしろ可能性が広がった気がします。がむしゃらに働いていた30代半ばのころは、日々を過ごすことに必死で、先のことや自分のやりたいことを考える余裕はありませんでした。でも、子育てを通じて自分の世界も世の中の見え方も変わった。僕には今、何もないけれど、またゼロからなんでもやりたいなと思えるんです。周りにどう思われても、自分と家族の幸せを大切にしたいですね」。

一番の喜びは、娘の小さな変化や成長に気づけるようになったこと。以前はわからなかった体調を崩す予兆や、コロコロと変わる表情の意味も今なら手に取るように理解できる。

兼業主夫になったことへの後悔はひとつもない。「カレーを作っておいたので、今夜の家事は楽なんです」。娘たちの待つ家に帰る坪井さんの足取りは軽やかだった。

藤野ゆり(清談社)=取材・文


連載「37.5歳の人生スナップ」過去記事一覧
第1回
人生の自由度を広げたい。「兼業主夫」の道を選んだ男のストーリー

# 37.5歳の人生スナップ# 主夫# 東日本大震災
更に読み込む