OCEANS’ PEOPLE ―第二の人生を歩む男たち― Vol.21
2019.02.09
LIFE STYLE

海外で注目を集める“墨筆士”、小林龍人とは一体何者なのか

OCEANS’s PEOPLE ―第二の人生を歩む男たち―
人生の道筋は1本ではない。志半ばで挫折したり、やりたいことを見つけたり。これまで歩んできた仕事を捨て、新たな活路を見いだした男たちの、志と背景、努力と苦悩の物語に耳を傾けよう。

小林龍人(42歳)は「墨筆士」である。これは、彼が自ら考案した肩書きだ。

日々、書をしたためる。そこに自身の経験と哲学をすべて込め、磨き上げた技術を用いて作品へと昇華する。企業や店舗からロゴとして発注されることもあれば、パッションのままに生み出した書をアートとして販売することもある。どちらにせよ、書が小林の生業だ。墨筆士とは、既存の肩書きでいうなら、つまりは「書家」。だが彼は、自らをそう呼ぶことに違和感を持つ。

小さいころから継続的に書道教育を受けてきたわけではなくて、本格的に始めたのが30歳。そしてその少し前までは典型的な、いわゆるチャラ男。そんな小林の紆余曲折。

まずは、今の彼の仕事を見てみよう。

異色の書家が生み出すのは「龍神書アート」

これが小林龍人の代表的な書である。

「龍」の文字に、龍の頭部が出現している。

小林は、自らの書を「龍神書アート」と呼び、漆黒の侍の装いで筆を握り、書を通じて日本文化を発信すべく、海外でも積極的にパフォーマンスを行っている。これまで書道ライヴパフォーマンスを行ったのは、ミラノ、ローマ、ドバイ、アブダビ、パリ、アゼルバイジャン、シャルジャの4カ国7都市。

2015年、ミラノ万博の際には、日本館の認定イベントとして行われた「JAPAN ART TASTING EXPO 2015 in MILANO」のオープニングセレモニーでライブパフォーマンスを敢行。同じ年、ドバイでは現地へのセブンイレブン初出店レセプションで筆を振るい、UAEの教育系イベントにおいて、大臣の面前で書をしたためた。

小林が外国で人気を得ているのは、よくわかる。何しろ侍なので。そしてその書からは時折、龍が姿を現す。それはもうカッコいいし、神秘的だ。もちろん小林本人も、「パフォーマンスとしてのキャッチーさ」をかなり追求はしているはずだ。だが、それはあくまでも見せ方。

筆は両手で握る。紙に対して垂直に力強く押し当てながら、ぐるぐると回転させつつ線を引く。回転された筆先は渦のような筆致を残し、かすれながらそれらが連なって線となる。線と線が組み合わさって文字になる。

「筆って、何百本もの動物の毛からできてるじゃないですか。その筆ならではの必然性を紙に残したいと思ったんです。ツルッとしたキレイなだけの線を書くなら、筆じゃなくてもいいですからね。どんなふうに書けば、僕の書なのか。表現するうえで、墨と筆、和紙のポテンシャルを最大限に引き出せる書き方はどうすればいいのか、それを考えに考え、さまざまなやり方を試した末に確立したんです」。

これも、よく見ると最後のはねの部分に龍が姿を現しているように見える。普通はこんな書き方はしない。完全なる自己流で見出した書法である。

NEXT PAGE /

「たぶん書道ならなんとかなるだろう」と志した結果

現在42歳の小林が、本格的に書の道に進んだのは30歳のとき。……といっても、書家になろうと決意したわけではない。

当時、小林がやろうとしていたことに書が必要だったから。そして小学生のころ書道教室に通っていて六段までは取得していたから。

小学生時代の段位は、中学・高校以降の大人の書道になるとリセットされることが多いが、それも織り込み済みで「たぶん書道ならなんとかなるだろう」と、当時の小林は思ったのだ。

「全然、どうにもなりませんでしたけどね(笑)」。

日本人の多くは義務教育で書道をやる。ちょっと崩して、いい言葉を書いたりすることで“味がある”なんて言われることもある。だが、うわべだけのものはすぐにメッキが剥がれる。成人してから正当な書道教育を受けずにきた小林は、そうした“なんちゃって書道”にハマらぬよう研鑽してきた。

どうにもならなかった書道をいかにして進化させてきたのか、というお話は追い追い語っていくとして、ともかく、小林は今、全身全霊を込めて書に取り組んでいる。

「特にライブパフォーマンスなどがそうですが、実際書いている時間って10分〜20分程度だったりするんですね。でもその10分、20分さえあれば書けるものではないんです。僕は今42歳なんですが、これまで送ってきた人生の経験と会得してきた哲学をすべて、その時間に集約して出しているつもりです。書道って、手で書くものですが、手先で書くものではないと思っています」。

「まだ無名なので、これまでは知人からの紹介ベースで入ってくる仕事が多かったんですが、この1〜2年、状況が変わってきました。これは当然なんですが、知り合い以外から仕事や取材などのご連絡をいただくようになったんです」。

海外での活動やネットでの活動報告が少しずつ実を結び始めている。アジアのある国際的企業のウェブでのキャンペーンへの出演依頼が来たそうだ。だんだん作品を作る機会は増えてきている。ただ、1つひとつにじっくり取り組めるだけのペースは守れている。

「ペースを守れているのが幸い。これまで単に僕が経験してきたことだけでは、文字で何かを伝えるには圧倒的に非力です。だから、人前で書いたり人のために書いたりしていないときは、ちょっとカッコつけた言い方ですが(笑)、毎日、自分の魂を磨くことに時間を使っています」。

NEXT PAGE /

鎌倉で禅と波に身を委ねる日々

昨年末から鎌倉に居を構え、創作のための理想的な環境づくりを本格的に実践し始めた。

円覚寺に日参し、江ノ島では龍神の息吹を感じる。自宅では般若心経と観音経を唱和。毎日、瞑想の時間を設け、いい波が立てばサーフィン。波乗りは小林にとって、20代前半からハマり続けている遊びだった。だがいざ、「日々魂を磨く」と決意して以降、格好の精神修養の手段にもなっている。かのサーフレジェンド、ジェリー・ロペスは奇しくも言った。「サーフィンは禅である」。

海と一体となり、己を鍛えることが、スピリチュアルヘルスを健全にするのだ、と。

「円覚寺はホント、すごいです。世界に禅を広めた鈴木大拙翁が坐禅修行した場所で、その精神性が伝わってくる気がします。ホント、仏のパワーを感じます。きちんと創作に取り組むためのアトリエと、サーフボードをいじれるスペースも持てるようになったのが大きいですね」。

小林龍人は、とにかく「これ!」と決めたら、全力投球の男なのである。良くも悪くも他の何も見えなくなり、周囲が呆れることもしばしば。書に関してはこの3年ほどがそんな感じ。書いて勉強して試して書いて勉強して試して、それが少しずつ実を結んできたのかもしれない。

海外だけでなく国内でのパフォーマンスの機会も増え、題字やロゴなどのオファーも来ている。もちろん、書家としてまだ一流のステージに立っているわけではないが、毎月お金の心配をすることなく、書一本で生活が成り立つ状況になっている。

「でもそれは、周囲のみなさんの助言が大きいと思います」。

“周囲”とは、彼の書家としての活動の顧客だが、多くが会社経営者やコンサルタントたち。小林龍人という男、なぜか実力者に可愛がられる人生なのである。

「去年なんですが、普段応援していただいている方々に書の値段を聞かれることがあったんです。“相場”もよく知らないので、適当につけてきたんですが、みなさん口を揃えて“安すぎる”と(笑)。うれしかったですね。だってそれだけ僕の書に、価値を認めてくれている、ということですから。それでみなさんのアドバイスに従って、値段を上げさせていただいたんです」。

赤裸々に話してくれるのが面白い。「値上げしたことでオファーが減るんじゃないかとビクビクもしてたんですけどね」なんて告白も、非常に人間的だ。

ともかく“値上げ”は障害にならなかった。それはたぶん、アートが生活に直結したものではないから。ブランド同様、値段が上がっても欲しい人は買う。どれだけ高かろうと、それは他のものでは代替が効かないのだ。

「そうなんですよね。“本当に気に入って、それが欲しい、それを作った人間を応援したいと思う人って、値段は関係ない”っていう話を聞いて、勇気が出ました。僕の書の世界観とか、龍とかが、そうして評価していただけるようになってきているとしたら、本当にありがたいですね。値上げしたのなら他の人のにしようって思われると切ないですけど(笑)。僕自身、ブランドということについて無頓着ではなかったんですが、自分自身のこととなると、そこまでの自信は持てませんでした。それを後押ししていただいたのは、本当にありがたいと思っています」。

小林龍人は、書家になっておおよそ12年。経済的にも、作品に取り組む環境という意味でも、昨年から少しずつ変化が訪れている。この先さらにブーストがかかる予感がある、と本人も言う。

ここに至るまでの小林の人生は、「とにかくガムシャラに何かをやる」→「人生に大きな影響を及ぼす人と出会う」の繰り返しだった。影響を受けるだけでなく、メチャクチャ助けられてきていたりもする。そして今は“侍”にして“墨筆士”。己の書をより良くするために、日常をより良く生きようと試みる男。

だが10代だった25年ほど前に脳内を満たしていたのはヴィンテージジーンズとナイキ エアジョーダン。

次回は長く続いたチャラ男時代を振り返る。

【Profile】
小林龍人
1976年、埼玉県狭山市生まれ。大学卒業後、外資系マーケティングリサーチ会社に就職。30歳で退職し、ひょんなことから20年ぶりに筆を持ち、書の道に入る。独自の手法で、人々に勇気と元気を与える書を生み出す墨筆士。国内外で数多くのライブパフォーマンスを行い、店舗や企業イベントなどの題字も手掛ける。
オフィシャルウェブサイトはwww.ryu-jin.tokyo

稲田 平=撮影 武田篤典=取材・文

# OCEANS’s PEOPLE# 墨筆士# 小林龍人# 書道
更に読み込む