OCEANS

SHARE

2019.01.12

ライフ

飽きっぽい体育会系オトコが、エジプト食に人生を賭けるまでの、スゴい逸話

OCEANS’s PEOPLE ―第二の人生を歩む男たち―
人生の道筋は1本ではない。志半ばで挫折したり、やりたいことを見つけたり。これまで歩んできた仕事を捨て、新たな活路を見いだした男たちの、志と背景、努力と苦悩の物語に耳を傾けよう。
>第1回「脱サラ後エジプト食・コシャリ店開業。というかコシャリって何?
須永司は現在35歳。「エジプトめしコシャリ屋さん」の主人である。それは、今のところ1台のキッチンカー。ブルーの車体を目印に、首都圏近郊に日々出没。お昼時のビジネスマンの腹ペコを満たすだけでなく、週末にはさまざまなイベントに出動。少しずつ固定ファンを増やしている。
ひとりで店を取り仕切る須永は、京都の有名私大を卒業後、電子部品メーカーで営業職として活躍。将来を嘱望されていた。が、社会に出て10年を経て、あっさり退職。「コシャリ屋さん」へと転身した。
そんな須永司の、今回は部活とサラリーマン時代の話。なかなか先に進まず恐縮だが、「なるほどこの人起業するな!」ということがよくわかる逸話だらけなのである。
 
中高大。体育会系ながら違うスポーツを選んできた
「エジプトめしコシャリ屋さん」を運営する須永司さん
コシャリ屋さん・須永司の部活遍歴はこうだ。中学時代:テニス部、高校時代:野球部、大学時代アメリカンフットボール部。進学するたび、まったく新しいスポーツに挑戦してきた。
体育系の部活経験者ならわかると思うが、経験のあるスポーツのほうが圧倒的に有利だし楽である。少なくとも基礎を身につけたうえで、その種目に取り組むことができる。ましてや須永さん、付属中学からの同志社高校、同志社大学への内部進学者だ。体育会のコミュニティなどもそこそこしっかりできているだろう。でも「飽きっぽかったもんで」と笑っている。
「中学までは部活といっても、大会に出てがんばる、みたいなモチベーションもなくいろいろなスポーツを楽しんでました。それを高校では真剣にやってみたいと思って野球部に入りました。野球なんてみんな小学校から始めるじゃないですか。僕ひとり高校からのスタートで、完全にド素人だったんで厳しい環境でしたよ(笑)」。
そう、高校の野球部なんて未経験者がいきなり入るような世界ではないのだ。完全にワケがわからない。だが3年生のときにキャプテンに選ばれた。
「リーダーシップって色々なかたちがあるじゃないですか。有無を言わさぬほどのプレーでみんなを引っ張ることができる人がいる。強く厳しく言葉で指導できる人もいる。僕はプレーは下手だし、厳しく言えるタイプでもなかった。どうしたらいいのか、めちゃくちゃ考えましたよ。それで“1年生がやるような仕事を自分で率先してやるようにしよう”って決めたんです。“キャプテンがあんなことやってるんだからボーッと見てたらアカン。自分もやらないと!”って、みんなに気づいてもらえるように」。
須永キャプテン率いる同志社高校野球部は、夏の甲子園の地方予選でベスト16に進出。甲子園常連校の平安高校(現・龍谷大平安)に敗れた。
「そもそも同志社高校の野球部ってあんまり強くなかったんですけど、僕らの代は頑張れましたね。すごいヤンチャな後輩が“キャプテンは須永さんしか認めません”って言ってくれたのがうれしかったし、自分なりに懸命に考えて真剣に取り組んだら、ちゃんと結果につながるのだということを、このとき、身をもって学んだ気がします」。
大学のアメフト部も、またもやゼロベースからのスタート。でもやりたかったのだからしょうがない。そこでも須永さん、なんとか試合に出るために一所懸命に考えた。

ただ、よりにもよって割り当てられたポジションは「ディフェンスライン」。いわば守備の最前線となる壁のような存在。本来ならば、チーム内でも体格のいい男たちが務めるポジションである。何しろ相手チームの大男たちが務める「オフェンスライン」の攻撃をまともに受けなければならないのだから。
「190cm台の選手の相手をしないといけない状況です。僕は体も大きくないし経験もない。それでも試合に出て結果を残すにはどうすればいいか。それを考えて、倒されてもとにかくすぐ起きてプレーを続ける、ということを心がけるようにしたんです。僕みたいな選手は、何も考えずに練習していても絶対試合になんて出られないんですよ。それだと面白くないじゃないですか。いいプレイをして目立ちたいのはもちろんですが、自分がセールスポイントとしてアピールできる点はそれぐらいしかなかったんで……」。
決して主張するわけではなく、とにかく練習から「倒されてもすぐ起きてプレーし続ける」を実践し続けた。あるときからコーチが他の選手たちにこう言うようになった。
「須永のプレーを見習え」。
須永さんは少しずつ試合に出られるようになり、4年生のときには押しも押されもせぬディフェンスラインのレギュラーとなった……。

多くの大人は、社会に出てハードな事態に幾度も直面する。大失敗して大打撃を受けることもある。仕事をするなかで周囲から圧をかけられて己の身の丈を知り「自分に何ができるか」に真剣に向き合うようになる。そこからポリシーやメソッドを構築していく。
だが須永さんの場合、部活レベルである程度そこまで自主的に自分をそういう状況に追い込んできた。といっても、そうして将来に備えてきたのではないだろう。進学するたびに自身の「今やりたい!」を優先した結果、毎回苦境に立たされ、打破するために知恵と工夫を積み重ねてきたのだ。
それが就職の際に活かされないわけがない。


2/3

次の記事を読み込んでいます。